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 ちんまりとした折りたたみ式の安テーブルいっぱいに、大量のハンバーガーがどさどさと並べられていく。
 両手いっぱいの紙袋から取り出されたそれは、目算でもざっと二十はあるだろう。それこそ、床から垂直に積み上げたら、チビなお前のタッパなんて軽く越えちまうんじゃねーの? ってぐらいだ。
 マジかよコイツ。マジでこんだけ食うってのか。毎度ながらありえない量しやがって。せっかく出したテーブルもスペース埋められちまって板が見えねえじゃねえか。つーか俺のコーラはどこだ。はよう寄越せ。はよう。
「んで? 今回はどんだけ買ったんだ?」
「えーっと…確か二十個だったかな…?」
 おっやりい正解。じゃねーよ。二十個ってなんだよすげーな。体の許容量あからさまにオーバーしてんじゃねえか。アレか。僕の胃袋は宇宙ですってヤツか。
 半ば感心しながらぼんやりと眺めていれば、ハンバーガーを出し終わったレオはぐびぐびとコーラを飲み出した。食事前の水分補給なのだろう。ちなみに、当たり前のようだがサイズはLだった。



 それがいつだったのか、正確には覚えていない。
 ただ、俺がこうしてレオの一人大食いパーティーに相席できるようになったのは、偶然にもエンカウントを果たしてしまったあの日が始まりなのだろう。

 その日、レオは休みだった。
 生憎と執務室には忙しそうにしている旦那と番頭しかおらず、久しぶりの孤独なランチタイムを味わうはめになった俺は、仕方なくヘルサレムズ・ロットの街をふらふらと歩くことにした。
 葉巻をふかしながらあてもなくさまよっていると、特徴のあるにおいがふわりと漂ってきて思わず足を止める。
 霹靂庵。見上げた看板にはそう書いてあった。
 半ば忘れかけていた空腹を刺激された俺は、たらりと下がったのれんをくぐり抜けて、親父ーラーメン一丁ー、などと注文をしようとした。その矢先のことだ。見慣れたもじゃもじゃの後ろ姿を発見したのは。
 なんだよいるならいるって言っとけよお前、一人でラーメン屋たぁお主もなかなかワルよのう。そんな調子で絡もうと近付いた俺の視界に入ったのは、カウンターに積み重ねられたどんぶりの山だった。
 どんぶりの、…山?
「は? なんだこれ」
「おぅあわああっ!!?」
 疑問はそのまま声に出ていたらしい。俺の声に驚いたレオが盛大にラーメンをひっくり返したのも、割れたどんぶりの弁償代として皿洗いに勤しむはめになったのもきっちりと覚えている。

「バカだねーお前、んなこそこそしてっからびびるんだよ陰毛・ザ・チキン」
「…見ました?」
「あ? 何を?」
「その、僕が食べてたところ、」
「おー見た見た、お前すげー食うのなー…ん? ならなんで普段はそんな食わねーんだ? あんだけの量さらっと食ってんだ、一人前じゃ全然足んねーだろ?」
「そりゃ、足りないっすよ。でも僕お金ないし、もし知り合いに見られて引かれたらと思うと…。だから少しずつお金貯めて、全休になったら誰にも見つからないように腹いっぱい食おうって決めてたんですよ。でも、」
「俺が来た、と」
「はい…」
「ふざけんじゃねーぞクソガキ」
「えっ、あいってえ! なんで!? なんでぶったんすか!?」
「舐めてんのかお前。この俺様がんなちっせえことでドン引くとでも思ってんのか? ああ?」
「…間違いなくドン引いた上にいつまでもしつこくからかってくると思ったから言わなかったんすけど」
「いい度胸じゃねーかテメー、そこへ直れ。 …あのな、ここは有象無象が入り乱れる街、ヘルサレムズ・ロットだ。ワケわかんねえヤツらがうようよといやがるこの街で、お前みてーな普通のガキがちっとばかし多くメシ食ったところでどうってことねーんだよ」
「ザップさんもそう思いますか?」
「バッカ俺は関係ねーだろ。俺はお前の大先輩様なんだからよ」
「…答えになってないじゃないすか。もう」

 仕方がなさそうにふにゃりと笑ったレオは、それからというもの、俺の前でだけは大食いである自分を隠さなくなったのだった。


 
 俺は目の前に意識を戻した。そこには、早々にひとつ目のLサイズコーラをクリアしようとしているレオの姿があった。なかなかにペースが早い。このままだとハンバーガーもすぐなくなっちまうだろう。そう思った俺はレオとハンバーガーを交互に見比べ、一先ずと手近な包みを鷲掴んだ。おっ、まだぬくい。
 いやこれさあ、すげーいいにおいするんだよな。このにおいのせいでやけに腹減ってきちまったし。んでまあ、目の前には山盛りのハンバーガーがどっさりだろ? とすると、いただくしかないワケよ。胃袋様も欲していることだし。
 あっ、と聞こえた声はこの際無視だ。ムシムシ。

 鼻歌混じりのまま、丁寧に包まれた紙を開く。手持ち部分だけ残して剥いていくと、よく焼けた肉のにおいがより一層食欲を誘ってくる。追い打ちのように空腹を刺激されてぺろりと唇をひと舐め。欲望のままに大口でかぶりつけば、慣れ親しんだ味が口いっぱいに広がってきた。
 程よいケチャップの酸味と、ミートパティからじゅわっとあふれる肉汁のうまさ。塩加減がこれまた絶妙で、肉の旨みをぐんと引き立たせている。
 ふかふかとしたバンズの下からは瑞々しいレタスが顔を覗かせていて、厚めに切られたトマトもジューシーでなかなかうまい。…あれ、つかこれ肉二枚入ってんじゃん。なんだよお前、今日はまた随分と奮発してんなー。あーやべえ、肉うめえ。マジ生き返る。肉超うめえ。
 もっちゃもっちゃと食べ進めていたところ、何やら前方からじっとりとしたねちっこい視線を感じた。レオだ。不細工なほどむすっとした顔のレオに睨まれている。
「あんふぁよ」
「いえ。アンタの性格わかってますし今さら取るななんて言いませんけど、せめて一個くれとかいただきますごちそうさまぐらいは言ってくれるんだろうなあと思って見てました。だってザップさんは俺が今日のこの日をどれだけ楽しみにしてたか知らないわけないっすもんね。毎日のように楽しみだなーもうちょっとだなーって言ってましたし。どんだけ前から浮かれてんだフラつきやがってコイツ縄つけて引きずってったほうがマシなんじゃねえの? って言われたのも覚えてますし。ね? 知ってますもんねえ?」
 むぐ、と肉の塊が引っかかりながら喉を通る。
 お、おう、知ってる。知ってるって。月一開催の大食いパーティーのために日頃死ぬほどバイトしてギリギリまで節約してめいっぱい我慢して、だけど仕送りはビタ一減らさずにこつこつケチケチ貯め込んでやっとこさ大量のハンバーガー買いあさってきたんだろ? いや、知ってる、知ってるってば。
 だったらどうしてアンタはそうやって僕の大事な食料を勝手に消費してくれてるんですか本当にふざけんなよ金払え倍にして払えむしろ食料だ食べ物持ってこいって目で見てることもわかってる。レオのくせに生意気だし払ってやる気なんてカケラもねえけど。だけど。咀嚼中のスピードがゆっくりと落ちて、もご、と止まる。
 しばし、見つめ合う。無言の圧力だ。本日のレオくんは糸目のクセに妙な凄みがありますねー。こりゃアレか、食いものの恨みってヤツですか。おーおーそれは怖い。末代までシャッフルされるってか。うわーえげつねえー。
 まあでも、こればかりはしょうがねえか。お前がすげえ頑張ってんのも、我慢してるのも知ってるしなあ。
 もくもくと咀嚼を再開してごくんと飲み込み、出そうになった舌打ちはなんとか我慢して、右手に持ったバーガーをちょいと上げた。
「…いただいてまぁす」
「よし」
 満足そうな顔で頷かれた。なんかムカつく。
 わだかまりのなくなったレオは、今度こそ積み上げられたハンバーガーの山に手を伸ばした。相変わらずごっそりと鎮座ましましているハンバーガーたちはレオにしちゃ絶景、俺にしちゃ圧巻でしかない。
 食べ終わった包みをくしゃりと丸めた俺は、すっかり空になった紙袋へとそれを放り込んだのだった。ごちそーさまでした。

 さて、ようやくありつけるぞ。レオの顔面にはそんな一文がでかでかと書いてあった。
 顔を綻ばせながらぺりぺりと包みを開けて、どういうことか両手にハンバーガーを装備する。空腹に負けての行動なのか、普段からこのスタイルなのかはわからないが、見た目のせいで妙に似合っていることだけは間違いない。子どもかお前は。
 そんな俺の胸中など伝わるはずもなく(いや伝わってほしくもないけど)、にこにこ顔のレオはさっそくハンバーガーにかぶりついた。まずは右手に持っているほうからぺろりと平らげる。ちょっと待て今食べ始めたんじゃねーの? ってぐらいあっという間だった。幸せそうにむぐむぐと頬を膨らませながらも、空になった包み紙を器用に片手で丸めて紙袋にぽいと投げ入れる。かと思えば左手のハンバーガーにもしゃもしゃとかぶりつきながら、空いた右手でまだ山のようにあるハンバーガーのひとつを手に取った。慣れた手付きで包み紙を開き、左手の分が食べ終わったところで、今しがた用意したハンバーガーに齧り付く。もぐもぐと咀嚼をしながら左手の包み紙も丸めて紙袋へ。手が空いたところで新しい包みを開けて次の準備。右手側を食べ終える。丸めている間に反対に齧り付く。ゴミをぽい。空いた手で包みを開く。の、エンドレス。
 次々と消費されていくハンバーガーに呆然としつつもテーブルに目をやれば、そこにはまだまだたくさんのハンバーガーの山山山。見てるだけで腹いっぱいになってきそうだ。
「ホント、お前のどこにそんなキャパがあるんだかな…」
「んむ?」
 頬をめいっぱい膨らませたままくりんと傾いた頭。話は聞いてるくせに咀嚼する口は止めない。なんなんだお前は。食いしん坊か。万歳か。すげー幸せそうに食いやがって。うっかり頬が緩んじまうだろ。くそ。
 案の定見てるだけで満腹になっちまった俺は、ごそごそと取り出した葉巻に火をつけた。味わった煙を天井へ吐き出してから向き直れば、両手にあったはずの食べ物はコーラへと変身していた。小休憩らしい。
 ストローから口を離したレオは、それはそれは幸せそうに微笑んだ。やべえな。ちょっとかわいいとか思っちまった俺が。
「っはー生き返る~! やっぱたまにはチャージしないと調子出ないっすねー!」
「おう、そりゃよかったなー」
「えへへ。あ、ザップさんもう一個食べますか?」
「あー…いや、俺はもういいわ。コーラくれ」
「はい、どーぞ」
 新しいコーラを代わりにもらって、レオは先ほどと同じくハンバーガーを両手に装備した。そして再開するわんこハンバーガーパーティー。食べては食べ、食べては食べだ。休憩ってもんがまるでない。ひょっとしてお前の胃袋、本当に宇宙なんじゃねえの? 仮にそうだとしても俺は驚かねえぞ。
 次々と消費されていくバーガーがどこに消えていくのか不思議でたまらずにじっくりと見つめていると、新しく包みを開けたレオにすっと片手を差し出された。なに、俺に?「いらねーっつったろ。いいから食え」そう言ってデコピンをすると、レオはへへと笑ってバーガーにかぶりついた。
 全く、優しいんだよお前は。俺だったら普通に独り占めして食いまくってるのに。いいんだよ俺は。お前が食ってるとこ見てるだけで腹いっぱいなんだから。
 それに、これだけうまそうに食ってもらってるんだ。お前に食ってもらったほうがきっと、バーガーさんもお喜びだろうよ。



「ごちそーさまでしたっ!」
 パン! と手を合わせたレオは、実に満足そうな顔で終了の合図を告げた。
 食べ始めてから約一時間後。あれだけあったハンバーガーの山はなんと一つ残らずなくなっていた。完食だ。にわかには信じられないことに、十九個全てがレオの胃袋へと収まったのだった。
「いやあ食べたなぁ~おいしかったぁ~」
 ぱんぱんと手を払ったレオは、大量のゴミが入った紙袋を近くのゴミ箱へと適当に突っ込んだ。何口か残っていたコーラで喉を潤し、同じようにゴミ箱へ捨てる。くるりと俺のほうを向いておもむろに立ち上がると、へへ、と快活に笑った。
「ザップさん、どっか食べに行きましょ!」

 えっ。

 ほら、立って! と手を取られて、引かれるがままに玄関へと歩いていく。こんな短い道のりも鼻歌交じりだなんて、今日は相当に機嫌がいいらしい。いつになく強い力もアレか、ひょっとしてメシ食ったからか。だから普段は一般人並みの力しか出ねえってことか。
「って、いやいやいやいや! おかしいだろ!? お前今食ってたもんどこやったんだよ!?」
「どこ、って…ここに」
 レオは胃袋のあたりをさする。いやそりゃわかってるよわかってるけど!
「だよなあ食ったよなあ! じゃあもう腹パンパンで入るとこねえよなあ!?」
「やだなー、あんなの前菜みたいなもんですって!」
 振り返ってにっこりと笑った顔には嘘なんかカケラも見当たらない。マジだ。コイツ、本気で言ってやがる。
 僕ね、この日のためにお金貯めてたんで、ちょっとなら高いところでもいいですよ。や、でもできればリーズナブルな店がいいかなあ。そんで、味も美味しかったら完璧なんですけど…なんて、高望みしすぎっすかね、へへ。ザップさんは何がいいですか? 何か食べたいものあります?
 などということをすらすらと言いながら、相変わらず食う気満々な大食いカレシの勢いに流されて部屋を出る、その前に。
「レオ」
 俺は繋いだ手を、く、と引っ張って待ったをかけた。かくんと止まった体が振り向いて、不思議そうな顔が見上げてくる。なんで止められたかわかってない表情だ。
 鈍感め。外出る前にすることなんてひとつしかねーだろ。
「俺は?」
「はい?」
「俺は食ってくんねーの?」
「…は、」
 指先を顎に引っ掛けてくんと持ち上げる。至近距離にまで近付いてみると、反応の遅れたレオの頬がぶわっと赤く染まった。ほっほーかわいい反応すんねー。童貞くせーっつーか初心っつーか、さすがにこのザップ様をリードするのはまだまだ早かったってことか? うんうんいいってことよ。お前もここまでのイケメン相手にすんのは初めてだろうからな。そりゃ尻込みしちまうのも無理はねえだろ。わかるわかる。
 そう都合よく考えていたら、突然ぐらりと体が揺れた。直後、小さなリップ音を立てて離れていくやわらかい感触。視界の端にはジャケットの襟を掴む見慣れた両手があって、目の前には、真っ赤な顔の、
「………は?」
 え? ちょっと待てよ、やわらかい感触だって?
 襟から離れた手は再び俺の手を握り締めて、うわなんだコイツ手汗すげえ気持ち悪っ。…じゃなくて。そうじゃなくて、この短時間でこんな風になるってことは。やっぱり今のは。
 隠すように俯いた顔をそろりと覗き込むと、なぜかその顔はぶすっと膨れていた。相変わらず頬が、というよりも、ほぼ顔の全体が茹だっているように赤い。
「…アンタは」
「ん?」
 ぽそ、と呟いた小さな声を拾うために、俺はレオの口元へと耳を寄せた。
「だから…っ、アンタは俺の、め、メインディッ、シュ、なんで…その、…あっ、後で! 後で、ちゃんといただきますから…っ!」
 言い終わるよりも前に顔を背けたレオは、乱暴に玄関の扉を開けた。錆びた蝶番の音と、入り込んでくる外の空気。素早く施錠を終え、ぐいぐいと手を引く後ろ姿を眺めてみれば、もじゃもじゃの陰毛頭からのぞいた耳があからさまに赤い。
 なんだよ、なかなかやってくれるじゃねーか。言葉のチョイスは童貞くせーけど、それはそれで悪くねえ。自然と口角が上がっていく。

 ――さあて、そんじゃちょっくら下味でも付けに行きますか。

 何事もなかったかのように階段を下りる背中にそっと寄り添って。間近に見えた赤い耳に「残さず食えよ?」と囁いてやると、レオは見事に足を踏み外したのだった。


 

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