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 流し素麺をご存じだろうか?
 そうめん。ソーメン。NOT Soul-Men,YES Sou-Men.
 かの東の地では夏のソウルフードだという話だが、日本食の麺類と言えばウドンやソバといったもので知識が止まっていたレオナルドは話半分に「いやぁー、知らないっすねー」と軽ーく返した。
 そう。先輩兼恋人であるザップと昼飯の話をしている最中だったのだ。
 「素麺」とやらの覚えのないワードの頭には、ご丁寧に「流し」とまでついている。
 流すのか?何を?素麺を!
 しかし突然「流し素麺とか食いてーな」とかぼやかれても、そもそも未知の麺をどこに流すのかすら想像のつかないレオナルド・ウォッチは、気の抜けた声でそう答えるしかなかったのだ。
 この時のレオナルドは、決して自分の対応は間違っていなかったと思っている。
 そしてこの真夏の塩対応に激怒したのが、流し素麺の話題を持ち出した張本人ザップ・レンフロである。
 想像より後輩兼彼氏の食い付きが悪かった、飯の話だけに。
 こちらは素麺を食べに行く気満々だったというのに適当に流された、流し素麺だけに。
 これだけの条件が揃ってしまえば、ザップが激怒するのも致し方ないことなのだ。少なくともザップの頭の中の法律ではそうなっている。刑罰待ったなしである。
 怒り心頭の勢いでどこからともなく「流し素麺キット」なる怪し過ぎるものを持ってきて、レオナルドの首根っこを掴んだと思いきや破竹の勢いでベランダにまで飛び出した。
 恋人のわがままに付き合ってやるのも致し方ないと悟りきったレオナルドはされるがままだ。まさに流されてゆく。
 後から聞いたザップ曰く「数日前、偶然動画サイトで見かけてからというものの流し素麺をしてみたくてたまらなかった」とのことだ。
 キットを用意していたことからも分かるように、計画的犯行であった。

 斯くしてレオナルドはザップに箸を持たされ、水流に乗って流れてくる一口分の素麺を捕まえようと躍起になっている最中なのである。現在進行形で失敗続きである。集中力がどれだけあっても足りないのである。
 箸使いがド下手くそなレオナルドには、目の前を一瞬で通り過ぎる素麺を捉えることなどほぼ不可能であった。
 仮に神々の義眼の力をフルに借りたとしても、指さばきがついていくかどうか怪しい。そもそもこんなくだらないことに使う気などなかったが。
 なぜわざわざ水で流すんです?と聞いてはみたものの、ザップにも日本人の心はよくわからないらしく、たどたどしい言葉で「ワビ……サビ……?」との回答を得た。ミステリアス&エキゾチックジャパン。
 そして麺は一向に捕まらない。
 流し素麺のワビサビに触れたレオナルドの答えはただひとつ。

 普通に食べたい。

 心底そう思いながら、小型ウォータースライダーのような長い長い水流を呆然と眺める。ザップのやらかしたアホほど長いそれは、冗談なしに果てが見えない。
 そして何より麺が流れる速度が速すぎるのだ。
 どれぐらい速いかと言うと、スピードを上げたスーパーカブですら追いつけない。残像が見えるレベルだ。
 こんなの絶対日本の人の言う「ワビサビ」じゃない!レオナルドは心の中でそう叫んだ。

 HLの道路にランダム形成された流し素麺のコースは、どういう仕組みなのか自動で素麺をポンポンと流し続けている。
 透明なチューブのようなコースの中を水と麺が流れているようだが、手や箸を入れることは簡単に出来る。チューブ型の結界なのだろうが、仕組みは不明。
 素麺が平然と弾丸のように空中を飛び交う様子は、ちょっとしたケセランパサラン祭りのようだった。
 利き手に持つ箸が風圧で吹き飛ばされないように身を伸ばしながら、とうとうレオナルドが根を上げる。
「ザップさん!これ!これ無理です!」
 そんなレオナルドの後ろには、今回の仕掛け人であるザップが腕組みしたままニケツで鎮座していた。元凶のくせにやたらと偉そうである。
 ふんと鼻息を一つ鳴らし、大声で怒鳴って喝を入れる。
「根性見せろや!眼の力使ってお前が捕まえねー事にはこの流し素麺のコース消えないんだからよぉ!」
「なんで昼飯時にこんな目に合わなきゃいけねーんだよぉー!!」
「昼飯時だからだよ!」
「せめて流れない素麺にして欲しかった!!」
 うわあああ!と半狂乱で叫ぶレオナルドを助けてくれる者はいない。

 事の発端はこうだ。
 ザップが持ってきた「流し素麺キット」とやらは、素材はよく分からないが、見た目だけならコーヒータンブラーのような形をしていた。ショート以上トール以下か。ベンティでは決してない。
 しかしそんなに小さなものでも、異界の転送技術を用いた立派なポータルらしい。どこからともなく水と素麺が転送されてくるように設定されているとか。
 そんなもんにご大層な技術を使ってくれるなとレオナルドは思った。
 二個の発射口でワンセットのそれは、ある程度離れた部分に配置することで自動的に流し素麺のコースを生成する。直線以外でも話せる糸電話のようなものだ。
 カブのスピードを調整しながら、新たに流れてくる麺を視認し、仕方なしにレオナルドの箸が伸びる。
 が、しっちゃかめっちゃかな動きの箸でその白い塊に触れられる事すら出来ず、見送る羽目になった。これで何度目だ?
 他人事のようにザップがため息を吐く。
「普段から箸使いヘッタクソやのーとは思ってたがここまでとはなぁ……これ終わったらスパルタ訓練な」
「アンタこれ僕の箸使い云々の問題じゃないでしょう……ったく、どこからこんなわけのわからんアイテム拾ってくんですか!作った奴も何考えてんだ!」
「うるせぇなぁ、想像と違って拍子抜けしてんのは俺も一緒なんだよ。文句言うな」
 スーパーカブと素麺の進路にあるチンピラどもを血法で蹴散らしながらザップはぼやく。
「適当に動画見てたらよう、流し素麺の動画見つけてよう。素麺流すトイとかいう道具に似たもん持ってるってエイミーが言ってくるじゃんかよ。そりゃ貰うし試してみたくなるだろうが」
「せめて二個ワンセットのモンなら二個とも貰ってきてくれませんかね」
「仕方ねーべ。もう一個はどっかに行っちまって使えねーって言ってたし」
「使えねーのはアンタだよバカヤロウ」
 思わずそう漏らしたレオナルドの頬をザップは無言でつねりあげた。
 なんとこのザップ・レンフロ、スタート用とゴール用、二つ揃えて使うべきポータルをスタート用のもの一つしか持ってこなかったのである。
 遡るは数十分前。
 流し素麺とは屋外でするものだ、というザップの情報を信じ、のこのことライブラのベランダに出たのはレオナルドとザップの二人だ。
 浮かれるザップにつられる形で、うきうきとしながら筒型ポータルの電源を入れた瞬間、麺がジェット噴射のように飛び出して行った驚きは筆舌にし難かった。
 常識を捨てよ、街に出よう。そんな勢い。
 発射された麺達が行き着く先はわからない。つまり、ポンポンと無尽蔵に発射される素麺どもが、このHLのどこぞかに溜まって行っているのだ。
 止め方すらわからないそれが、どれだけの水と素麺を吐き出すのか、キットを持ってきたザップにも想像つかなかった。
 自分たちのやらかしたことが、HL中を素麺で埋め尽くす危険性があると理解した時には、レオナルドもザップも二人揃って真っ青な顔になっていた。その間にも水と素麺はどんどん流れていく。
 そんな二人の心はひとつ。

 スティーブンとクラウスにバレる前にどうにかせねばならない(特にスティーブン)。

 ザップはまず、急いでエイミーに連絡を取った。行方不明のゴール用ポータルの存在について知ったのはこの時である。
 そして麺を止める条件を聞いた時、真っ青だったザップの顔は群青色に染まったのである。

 素麺の停止条件。
 それは素麺を必ず「箸」で捕まえ、食した後に手を合わせて「ごちそうさま」と言うこと。日本語だ。

「無茶だ!!」
 麺が発射される初速を目の当たりにしていたレオナルドは悲鳴を上げた。
 ザップが入れたらしき電源のような部分をいじってみても、もう麺の転送が止まることはない。ノンストップワビサビウォーター、ネバーエンディングソーメンズ。
 既に街中を豪速で行き交う流し素麺を見つけたバカどもは、手掴みでそれを捕まえ、珍しそうに眺めたり口に運んだりしているようだ。
 それでも素麺が流れ続けるところを見ると、エイミーさんとやらの言った素麺停止条件は本当なのだろう。箸を使う文化人は、最初から出所不明の空中浮遊素麺など踊り食いしない。自然解決は待つだけ無駄だろう。
 レオナルドとザップは目を合わせ、言葉をかわすことなく頷いた。
「手始めに素麺を掬うのだ!」と。

 そんな訳で、レオナルドとザップは凄まじい勢いで流れる素麺を食すべく、スーパーカブにニケツして颯爽と街に繰り出したのであった。
 後方を確認したザップが盛大に舌打ちする。
「くそっ。こっち流れて来る前に食ってる連中がいやがる!」
「その水が流れて来てるんですよね?今更ですけどこれ衛生的に大丈夫ですか?」
「そんなもん気にしてんじゃねーよ。食あたりってのは当たると思ったやつから当たっていくのよ」
「あんたそんなこと言ってこの前腐った魚食って当たってたでしょうが」
 振りかぶる箸がまたもや空を切り、路地の隙間へと進路を変えて消えていった。カブでしか並走できない速度で流れているため、レオナルドとザップが麺を追えるのは道路上を走る水流のみである。
 一旦停止した二人は、流れてくる麺をじっと待つ作戦に切り替えた。風下ならぬ水下である。
 ランダム生成されたコースはうねりにうねって、建物すら貫通している場合がある。見晴らしの良い直線コースは、先ほどからレオナルドとザップが行ったり来たりを繰り返している道路しか見当たらなかったのだ。この場所で待つしかない。
 ヒッチハイク待ちのように構えるレオナルドの右手に握られた箸は、どうにも妙な形で握られたままだ。
 我流とはいえ天才的センスで正確な箸使いをマスターしていたザップは、それを見て眉をしかめた。
 当初こそ箸の上手く扱えるザップが素麺捕獲役をすべきなのでは?という話だったのだが、いかんせん流れが速すぎて構えた箸より先に血法が出てしまうのだ。短気ここに極まれりである。
 もちろんそれでは水流は停止せず、仕方なしに義眼の力で素麺の動きについていけるレオナルドが捕食役と相成ったのである。

 ここはHL、なんでも起こる街。
 流れるだけの美味しい素麺が、秘密結社の構成員二名を振り回すことだって起こりうるのだ。

 それにしても、ここは元紐育の大通りのど真ん中だ。
 なんちゃってヒッチハイクスタイルで身構える凸凹コンビの二人は悪目立ちしており、ついでに言うとあからさまに歩行者や乗用車の邪魔になっていて、ぶつかったり気を使っている間に麺をどんどん見逃してしまうという事態に陥っていた。
 募る苛立ちを隠すことなく、とうとうザップが葉巻をふかしはじめる。
「腹も減ってきたしよぉ、そもそも俺が思い描いていた『流し素麺』ってのはこういうのじゃねぇんだよなぁ……おい陰毛頭よ、もう知らんふりしてどっかに飯食いに行かねぇ?」
「駄ー目っすね。そもそもスタートポータルをライブラに放置したまんまじゃないですか、すぐばれますよ」
「オーマイガー……」
「うーん、せめて静かに待機できる場所が見つかればなぁ……」
 そうぼやくレオナルドに、通行人の肩がぶつかる。一方、その横の路地の隙間から、たまに現れては通行人にちょっかいをかけるデビルテンタクルが姿を覗かせた。
 面倒なので技名すら叫ばずにザップが焔丸で切り落とす。
 確かに静かとは程遠い環境だ。
 二人のイライラが最高潮に達するかという瞬間、レオナルドが突然目を見開く。
「ちょっと待った!」
 そう叫んだレオナルドはおもむろに水流に手を突っ込んだ。何やら白いものが流れてきたのだが、素麺ではない。先ほどから見送っている素麺の塊よりは大きめのものだ。
「おい、箸で掴まねーと意味ないって言ってんだろ」
「いや、素麺じゃないんですよ。ソニックですよこれ!」
「ウキュー!」
 ぷるるっと頭を振って水を切ったソニックは、レオナルドの手の上で目を輝かせていた。
 完全にウォータースライダーと勘違いしていたようで、レオナルドの目には涅槃仏のポーズのまま水流下りを楽しむソニックが見えたのである。
「お前なー、他の人たちに麺と間違われて食われる可能性とか考えなかったのか?」
「ウキッ?」
 苦言を呈すレオナルドに、ソニックはくりんと首を傾げる。
「そもそもゴール地点に吸い込まれたらどこに転送されるかわかんねぇのに呑気なもんだ」
「キキッ!」
 同じく不機嫌そうに言い放つザップは、行儀悪く葉巻を噛む。それを見たソニックは、音速猿の名前にふさわしい瞬発力で飛び出し、突然ザップの葉巻を奪った。
「てめっ……!」
「駄目だぞソニック、煙とか火とか危ないから!」
「おいコラてめー猿の方心配してんじゃねぇよ!被害者は俺だぞ!」
「キッ!キッ!」
 何か物言いたげなソニックは火のついたままだったザップの葉巻を、無慈悲にもそのまま水流の中にぽちゃんと放り込んだ。言うまでもなく、猛スピードで湿気った葉巻が流されてゆく。
「っあーーーっ!!」
 見送る間もなく消えていった葉巻に、ザップはもちろんレオナルドも驚愕した。ソニックは悪戯好きではあるものの、自分の仲間や同類だと思った者に無意味な悪さは働かない。
 何せレオナルドの横でキーキー喚いているザップよりかしこい猿なのだから。
 そして、ソニックがザップの葉巻を投げ捨てた理由はすぐに判明した。
 それはソニックがザップの真っ黒な肺を心配していたから……もちろんそうではない。
 ゴール側に流れていったはずの葉巻が、しばらく時間をおいた後にスタート側から流れてきたのだ。レオナルドは慌てて水流に手を差し入れて葉巻を捕まえた。
 このように箸を使わなければ割と簡単に捕まえられるのだ。
 レオナルドは手の中の葉巻をまじまじと見つめた。間違いない。
「ザップさん……これ、さっきまで吸ってた葉巻ですよね?」
「どうしてくれんだよ、びちょびちょじゃねぇか……確かにこりゃ俺の切った吸い口だな」
 水流に翻弄されてくたびれた見た目にはなっていたが、それは間違いなくザップが吸っていた葉巻に違いないようだった。
 湿気るを通り越して水浸しで、もう火がつきそうになかったが。割と新品だったのだが。ザップの心境を知ってか知らずか、ソニックはドヤ顔を披露する。
「お前まさか……ループしてるの知ってて何周もしてんのか?!」
「ウキー」
「うきーっじゃねぇんだようきーっじゃ!ってことはアレだな、こいつはエイミーすら知らないゴール地点がどこか知ってるってわけだ」
「あ……危ない真似するなぁ」
 ゴール地点は住宅街や露店などの隙間を縫った先にあるようだが、レオナルド達はそこまで追いきれずになかった。何故なら、そのゴールポータルのある地点がどこぞのご家庭のリビングにでもあったら?
 問答無用で不法侵入、即日御用の現行犯である。そのあたりザップは平気そうだが、レオナルドの良心はそれを良しとしない。
 しかしソニックは目をきりりとさせ「ついてきな!」と言わんばかりに二人を煽った。
 いい加減歩道の真ん中でモニョモニョと箸を振り回す不審者に成り果てていたレオナルドとザップは、その場の視線から逃げる意味でもソニックの後を追うのであった。


 そして行き着いた先に、レオナルドもザップも驚愕する。見慣れた建物の見慣れた扉。
「僕の部屋じゃん……」
「ここが流し素麺のゴールだってか?なんだってこんな……まあいいや」
 勝手知ったるなんとやら。ザップは鍵を適当にガチャガチャといじって扉を開け、何食わぬ顔でレオナルドの部屋に押し入った。(実際未だに昼飯が食えてないので、名実ともに何食わぬ顔である)
「おい」
「窓は閉じてんな…ってことは壁とか貫通して空間が通じてるのか?相変わらずアッチのはわけわかんねー技術してんな」
「おいコラ。今家主の前で平然とピッキングしただろ。鍵なら普通に僕持ってんですけど」
「んー?流し素麺はどこかなぁ~~?」
「腹立つぐらい白々しいよ!ただでさえ腹が減って気が立ってんだよこっちは!」
「ウキーッ!ウキュキーッ!」
 ソニックの甲高い悲鳴が、ウサギ小屋のように狭い部屋に響き渡った。
 コップの中やテレビの裏をダルそうに覗くザップと、そのザップに難癖をつけていたレオナルドの動きが止まる。
 ソニックが一生懸命飛び跳ねている場所は、壁とベッドの隙間である。
 ソニックの指示に従い、レオナルドがズボリと手を突っ込んでみると、果たしてそこには二人が作動させた流し素麺ポータルと瓜二つの筒が出てきたのである。
 これに驚いたのは部屋の主であるレオナルド。
「えっ?えっえっ?なんでこんなところに?俺の部屋っすよねここ?」
「あ~~……」
「いや、100%あんたの仕業でしょうけども……」
 ここにきて心当たりを思い出したらしいザップは、レオナルドから筒型のポータルを受け取って唸った。
「いや、まずは聞け。前にエイミーのところに行った時は何一つエロいことはしちゃいねぇ」
「薬ですか」
「薬はエロくねえだろ」
「いやダメですからね」
「とにかくだ。その時の俺は、これを見て何故か面白くなっちまって爆笑したわけなんだよ。なんなら爆笑フォルダの中に写真も撮ってある」
 ホレ、と言って見せてきたスマホの画面の中には、それらしき筒を持ってアホそうな笑いを自撮りしたザップが確かにいた。そして目がイッている。ソニックとレオナルドの眉間に、皺が同時ににゅっと寄った。
「それで?なんで面白素麺流し機がなぜここに?」
「いやだってよ、これのサイズさぁ。お前のチンチンちょうどすっぽり入りそうだから試そっかなって。借りて持ってきたのはいいけどすっかり忘れちまってて」
「最っ低だ!最低な理由だ!」
 ザップがハハハと無邪気に笑う間にも、手に持った筒の中には定期的にスポンスポンと拾われ損ねた素麺が吸い込まれていく。
 そんなところに突っ込んだナニをどうしろというのか。スタート地点に転送して遠隔操作プレイでもする気か。
 怒りに震えるレオナルドをよそに、ザップはケラケラと笑いながら手元のポータルを見つけた。
「そっかそっかぁ。エイミーが探してたのこれかぁ、知らない間に俺が持って帰っちまってたんだなー後で謝っとかねぇとなー」
「その前に僕に謝れよこのシルバーシット!ああもう、とっとと素麺掬って食って終わらせますよ!」
 ゴールポータルをテーブルの上に置き、やっと事件を解決できると思ったのもつかの間。
 そこでレオナルドはとんでもない事に気づいてしまうのであった。
「……ところでザップさん。この素麺の転送を止める手段って『箸で素麺を掬って食べて、その後手を合わせてごちそうさま』でしたよね……?」
「おう」
「あの……」
 ギギギ、と油の切れたブリキ人形のようにぎこちない動きでレオナルドが振り返った。油の代わりと言ってはなんだが、脂汗なら大量に流れている。
 嫌な予感にザップの額にも汗が浮かんだ。
「箸……どっか行っちゃいました……」

 しばしの沈黙。

「は?はあぁーー?!」
 そして絶叫。その間にもどこからともなくどんどん麺は送られては吸い込まれていく。ついでにゴミとかも。
「お、お前……!箸がねーと止められねーんだぞ!いや待て落ち着け?そもそもここは陰毛様の巣だ。キッチンに箸ぐらいあんだろ?」
「それがねぇんすよーーー!!」
「うわぁーーー!!予想してたけどやっぱりーーー!!ズボラ野郎ーーーーー!!!」
「あんたにゃ言われたくねえぇーーーーー!!!」
 そこの脳みそ足らないツガイがうるせぇ!!!と言わんばかりにソニックが耳を塞ぐ。
「あややややや、今からどっか買いにいくしかないですかね。幸いポータルは僕の部屋の中にあるんだし少しの間放置していても……」
「その前に箸ってどこに売ってんだ?日本?日本行くか?」
「マーケット……いや見たことないし、もう霹靂庵とかのラーメン屋から借りてくるしか?それとも適当に木の棒見繕って作るしかないんじゃないですかね?!」
 お忘れかもしれないが、二人は昼飯を食いに行くという名目でライブラから離れているのである。それをあまりに時間をかけ過ぎたとあっては、GPS情報からも不審に思われ兼ねない。
 どこに売っているかわからないアイテムを探すだけの余裕が残されているとは到底思えなかった。あわや万事休すか、と騒ぐ二人。流れてくる素麺。慌てすぎて妙な音頭を踊っているような音速猿。現実は幻覚よりも奇なり。
 しかし、ここで閃くのがザップである。
「そうか」
 言うが早いか、ザップの手から血の糸がシュルシュルと伸びてきてレオナルドの指に巻きつき、あっという間に箸の形を生成した。
「箸がなければ作ればいいんだよ」
 ニヤリと笑う顔は、控えめに言っても悪かった。
 アイコンタクトする隙もないまま、レオナルドの目の前に次の麺が流れてきた。ただの箸と違いザップの意思が宿ったそれは、レオナルドの指に馴染んでスムーズに動く。正しい箸の持ち方とはこれだけの恩恵を生むのだ。
 箸を水流に突っ込んだことにより、飛び散った水飛沫がレオナルドの部屋を水浸しにしていくが、構っている暇はない。囲い込む要領で麺を必死に追い、不格好ながらも完全に捉える。
 その瞬間を目の当たりにし、水をかぶりながらも破顔したザップのその口に、レオナルドは迷うことなく掬い取った麺を放り込んだ。
 予想外の一口に目を白黒させるザップに対し、レオナルドの表情は悟ったように凪いでいた。
 HLの街中を循環した上、自分の部屋のベッドの隙間にゴールする麺など、正直な話食いたくなかったのだ。
 一瞬、苦しみに顔を歪めたザップはなんとかして麺を飲み込み、怒りの浮かんだ顔で手を合わせ、沈黙し、少しだけ思案した後低い声で「ごちそうさま」と呟いた。
 最後の動作だけはレオナルドと、ついでにソニックも付き合った。
 その作法を合図にして、ポータルから伸びる水流が消え去る。
 同時にザップはレオナルドを血法の糸ではちゃめちゃに巻き取り、死ぬか死なないかで言ったらギリギリ死なない範囲のダメージで蹴りとビンタをお見舞いし続けたのであった。


「……それで、念願の流し素麺は美味しかったっすか」
「水の味しかしねぇわ……」
 清く正しい流し素麺ライフを送らないことにはこうなるということだ。次は麺つゆを用意すべし。


 何はともあれ無事に素麺騒動を止めたレオナルドとザップは、ゴール用のポータルも回収し、幾分晴れやかな気持ちでライブラへと帰還した。
 頭からスプラッシュをかぶった形だが仕方ない。もうひとつおまけにレオナルドの頬がビンタで腫れてパンパンに膨らんでいたが、こちらも仕方ない。
 この「流し素麺キット」とやらは、スタート用ポータルとゴール用ポータルをセットにして仕舞い込んで置こう。きっと好奇心と腹を満たす程度で使って良い技術ではなかったのだ。
 そして残り少ないランチタイムを謳歌しよう、空腹を満たすために二人で目一杯美味しいものを食べよう。食べるのだ。
 そう思い、執務室への扉を開けた二人の目に飛び込んできたのは、無表情で仁王立ちするライブラの番頭様ことスティーブンの姿だった。
 一瞬で体感気温が下がる。

 あかん。

 シンクロする二人の思考をあざ笑うかのように、スティーブンは一枚の用紙を二人の前にゆっくりと掲げる。
「先程、この敷地内から開かれた転送用の異界製レンタルゲート使用料の請求書が届いた」
「えっ」
「新手の詐欺かと思ったが、指定された座標には確かにゲートを開くポータル器具が設置されていた。ベランダのあたりかな?秘密結社なのにおかしな話だな?」
「いやあのですね」
「ついでに大量の素麺とやらの代金も加算されて請求されている」
「うえぇっ」
 死んだ表情で睨みつけてくるスティーブンに、睨み返せるでも言い返せるわけでもなし、レオナルドとザップは各々ポータルを抱えてただただ震えていた。
「……連帯責任と見なし、次の給金から引いておくからな」
 静かにそう言い残したスティーブンは場を立ち去った。残された紙に書かれた金額は、レオナルドとザップの三ヶ月分のランチ費用を当てても有り余るほどの金額だ。
 空腹も手伝い、もはや悲鳴を上げる元気すらなく、二人揃ってへなへなと崩れ落ちるしかなかったのであった。



2016/07/31 番場ばんび

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