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 食べるのが綺麗な奴、汚い奴、大口を開けて食べる奴もいれば慎ましく食べる奴もいる。性格、育った環境、そんなものがよく表れるのは食事だ。
 ただ、「そういったこと」のメタファーと言われるわりには、食事という行為に対してそこまで魅力を感じたことはなかった。それなのに、優しい性格とは裏腹に、豪快に、男らしく食べ物にかぶりつく恋人を見つめていたら、初めて興味がわいた。



「俺、今日からお前とは昼飯行かねえから」
 時計の針も十二時を回り、そろそろ昼飯行きましょう、何食べます? なんて聞こうとした瞬間、ザップの口からはそんな言葉が出てきた。
「んじゃ」
「えっ、ちょ、ザップさん?」
 ひらひらと手を振り、ザップはそのまま一人で事務所を出ていってしまった。レオナルドと、最近よく一緒にランチに行くツェッドは取り残され、しばし黙って顔を見合わせていた。
「え、なんですかあれ」
「さあ……」
 何か怒らせることでもしてしまったのだろうか、と思考を巡らせてみるが、思い当たる節はなかった。
 ここ暫くは恋人として家で二人過ごすことも多く、休みの日はデート、なんて恥ずかしくて言えていないが、一緒に出掛けることもしていた。映画を見たり、気になっていた店にランチしに行ったり、順風満帆な恋人生活を送っていたはずだった。
 それに、今さっきの出来事を振り返ってみても、ザップは怒っているようには見えず、態度が急変したわけでもない。
 一体どうしたのだろうか、と疑問を抱えるも、レオナルドの腹の虫がタイミング悪く、ぐうっと鳴いた。
「あ」
「取り敢えず、何か食べに行きましょうか」
「そ、っすね……」
 腹がへっていては考えもまとまらない。そう考えることにして、レオナルドはツェッドと共に休憩を貰い、ランチに向かった。



 何が何だか分からない。レオナルドはそんな言葉を口にしながら、部屋でピザをもそもそと食べている自分の恋人の姿を見つめた。
 三十分ほど前のことだ。今日の夕飯はどうしようと考えながらほぼ空の冷蔵庫を覗いていると、渡してあった合鍵でザップはレオナルドの家に突入してきた。
「レオ! 飯まだだろ? ピザ買ってきたから食おうぜ!」
 なんて台詞と共に、レオナルドがバイトしているピザ屋の大きな箱を五つほど抱え、満面の笑みでザップはやってきた。
 また強奪でもしたのだろうかと不安に思い、そう聞いてみたが、否定される。ちゃんと小遣いで買ってきたと言うから、また愛人にでも可愛がってもらってきたのだろうと思うことにした。犯罪されるよりは浮気の方がまだマシだ、なんて思ってしまうのは恋人として何かおかしいと思ったが無視した。
「珍しいですね、ザップさんがお小遣いとはいえ自分の金で食べ物買ってくるなんて」
 少々不審には思ったが、蓋を開け、出来立ての香ばしい匂いを嗅いだらそんな気持ちも吹っ飛び、チーズがたっぷり乗ったピザを手に取った。
 チーズと共に乗っている具材が落ちそうになり、大口を開けて上から落とすように口へ運ぶ。少々はしたないかもしれないが、普段ザップとはもっと乱雑な食べ方をしている。今更そんなこと気にするような仲でもなし、レオナルドはばくばくと豪快に食べていく。
「ん、まぁな」
 そんな、まるで育ちざかりの少年みたいな食べ方をするレオナルドを、ザップはとろんとした目で見ていた。眠いのか、それともいっぱい食べる姿に母性がくすぐられているとでも言うのだろうか、ザップはあまりピザには手を付けていなかった。
「なんでもいいですけど、ザップさんももっと食べてくださいよ。アンタの金で買ったやつなのに僕ばっかり食べてるじゃないですか。……それに、そんな見られてると食べにくいんですけど」
「ん?」
「自覚ないのかよ……」
 なんのことか分からない、とでも言いたげな、きょとんとした顔でザップは首を傾げた。
 無自覚、だとしたら余計たちが悪い。そんな熱っぽい目で見つめられたら食べられるものも食べられないじゃないか。
 灰色の、まるでこの街の霧みたいなザップの瞳。それに少しの朱が混ざり、食事をするレオナルドのことを目で捕らえる。いつもと違う、熱視線。情事の時でさえそんな目を向けたことはないのに。
 レオナルドは息が詰まり、これ以上は何も食べられないと判断し、ピザの箱を閉めてテーブルの端に寄せた。
「もう食わねえの?」
「あ、はい、お腹いっぱいというか、胸がいっぱいというか……」
 そう言い切るのが早かったか、ザップの行動の方が早かったか、レオナルドはそのまま後ろに押し倒され、ベッドに転がされた。そして、馬乗りするようにザップがその体に覆い被さってきた。
「デザートもあるけど、いらねぇ?」
 砂糖菓子みたいな甘い声で囁かれる誘惑の言葉。それにとろけそうな灰色の瞳が「食べてほしい」と強く伝えてくる。
「なんてベタな……」
「でも、そういうの好きだろ?」
 ザップはにっと笑い、レオナルドの顎に指を添えた。すりすりと猫のように顎を撫でられ、くすっぐたいだけのはずなのに、どうしてか気持ちが昂ってくる。
「あー、もう! そこまで言うならいただきますよ!」
 レオナルドは腕を伸ばし、ザップの頭を引き寄せ、かぶりつくように唇を重ねた。
 これ以上は何も食べられない、なんて前言撤回。デザートは別腹だ。



 その後も、毎日のように夕飯を持ってきては一緒に食べ、食べているところを見つめられ、食事が終わるとベッドへ押し倒されることが続いていた。
 けれど朝は、起きた時にはいなかったり、勝手にシャワーを浴びていたり、朝食を共にすることはほとんどなかった。
「……珍しい」
 初めてピザを持って突入してきた日から一週間ほどたっただろうか。その日はレオナルドが起きた時、ザップはまだ横で安らかな寝息を立てていた。
「子どもみたいな寝顔」
 そう呟きながら頬をつついてみるが、起きる気配はない。熟睡してしまっているのだろう。
 なら丁度いい、とレオナルドはザップを起こさないように、そっとベッドから出た。そして、冷蔵庫へ向かい、朝食の準備を始める。とはいえ、トーストを作って目玉焼きを乗せ、まああとはサラダを作ることくらいしかできないのだったが。
 以前はこうやって泊まった日は、よく朝食も一緒に食べていた。昨日の夜の残りや、余った食材全部ぶち込んだスープとか、朝食なんて呼べるような代物ではなかったが、二人で食事をする時間は何よりも楽しく、柄ではないが幸せだって、そう思うくらいだった。
 しかし、ザップが昼食を一緒に食べないと宣言したあの日から、夕飯はともかく、朝食を共に食べることはなくなっていた。
「……ちょっと、寂しいって思ってたのかもな」
 夜は一緒だったのに、朝は一人で起き、朝食を食べる。この街に来た当初は、一人で過ごすことなんて当たり前だったというのに、ザップと共に過ごすうちに変わっていた。変えられていた、と言うべきだろうか。
 一人で食べる朝食がこんなにも味気ないものだったなんて、ザップと出会う前のレオナルドだったら知らなかっただろう。
 そうこうしている間にもトーストは焼き上がり、その匂いにつられたのか、ザップも起きてきた。
「朝飯作ってんのか」
 後ろから不意に声をかけられ、レオナルドは一瞬驚くが、少し振り向けばまだ眠そうなザップが焼きあがったトーストを見てはあくびをしていた。
「わっ、起きたんですね、おはようございます。二人分作っちゃいましたし食べていきます?」
「おー……」
 寝惚け眼をこすりながら、ザップは気の抜けた返事をする。とろんとした目だが、夕飯の時の熱っぽさは一切なかった。
「はい、どうぞ」
 小さなテーブルに目玉焼きを乗せたトーストと、素朴なサラダを置かれると、ザップはその前で手を合わせ、「いただきます」と呟いた。
 お師匠様がやっていた食事前の挨拶らしく、いまだに癖になってしまっていると話していたそれは、クリスチャンの食事をする際のお祈りによく似ていた。たった数秒の出来事なのに、その仕草は目を奪い、レオナルドはそれを誤魔化すように手を合わせて言葉を零した。
「いただきます」
「んー」
 片手でトーストを持ち、もぐもぐと口を動かす。まだ眠いのか、ザップは目を細めていた。
 しかし、レオナルドが食事を始めると、その目はゆっくりと開いていき、冷たい色だった灰色の瞳にだんだんと熱が籠っていった。
 ぼんやりと混ざっていく朱色が灰色と混ざり、いつか見たこの街の夕焼けのようだと感じる。霧に紛れて柔らかく、優しい夕日。それをそのまま映し出したかのように、ザップの瞳は光を帯びていた。
 そしてばちりと視線が交われば、ザップは目を細め、ふっと笑った。二人きりの時にしか見せない、特別な表情だ。
 これ以上見つめていたら駄目だと察し、レオナルドは半熟の黄身が零れないように慎重に、なおかつ素早く朝食を食べきり、席を立った。
「レーオ」
 猫が甘えるような声で名前を呼ばれ、振り向けばザップが人差し指で、トントンと机を叩いていた。
「……ご、ごちそうさまでした」
「ん」
 ザップはそれだけ言い、満足そうな顔でトーストを食べ進めていく。もうあの熱が籠った視線は消えてしまっていた。



 朝食も食べ終わり、食後のコーヒーも飲み、いつもより比較的ゆっくりとした朝を過ごしたレオナルドとザップ。そろそろライブラの事務所向かいましょうか、なんて言って玄関に足を運ぶと、ザップに肩を掴まれた。
「レオ」
 優しい声で名前を呼ばれ、レオナルドは立ち止まる。横を見れば先程食事をしていた際のとろける瞳が間近にあり、そのまま次に出るはずだった言葉を殺すかのように、唇を重ねられた。
「ん、んっ……ちょ、ザップさ……んむっ」
「んー?」
 ちゅ、ちゅ、とリップ音をわざと鳴らしながら何度も唇を食み、その気持ちよさに力が抜けてしまうと舌を強引に捻じ込まれる。歯列をなぞり、歯茎をつつき、舌の裏を舐められると、ぞわぞわとした感覚が背筋を通った。
 よく出かける前に軽いキスだとか、吸い尽くされるかと思うくらいに激しいキスをされたことは今までにも何度かあった。しかし、あれらはどれもレオナルドをからかうためであり、こんなにも求めてくるみたいな、熱烈なキスをしてくることはなかった。
「っ、ザップさん!」
 ぐっと力を込めてザップを押し退けると、レオナルドの口と唾液の糸で繋がったまま、ザップは食事をする時のあの熱が籠った視線をこちらへ向けてきた。まだ物足りない、とでも言いたげなとろけた目は、発情しているかのように見えた。
「うわ、うわうわ、っわわ」
 繋がった糸を指で切り、唾液でてらてらと光るザップの口元を服の袖で慌てて拭き取り、ザップの肩を掴んで揺さぶった。
「最近アンタどうしちゃったんですか!」
「どうしたって……何がだよ」
「いつもはこんなことしないじゃないですか……!」
 急に昼食は一緒に食べないと言い出したこと、夕飯はわざわざ何かを買ってきてくれること、それに食事している時だけこっちが恥ずかしくなってしまうくらいの熱視線を向けてくること。これらがいつも通りのことだったとしたら、レオナルドは既にキャパオーバーで倒れてしまっていることだろう。友人の延長線、みたいな関係が居心地良く、恋愛に疎いレオナルドでもどうにか出来ていたというのに。
「そんな顔で外出歩くつもりかよ!」
「そんな顔?」
「その……今すぐ抱かれたい、みたいな、そんな顔だよ……!」
 食事時の、あの熱を孕んだ視線。今までは、眠いのかなとか、母性でも芽生えたのかなとか、どうにかして誤魔化してきてはいたがもうそれも無理だ。あれは、あの視線はどう考えても、発情している獣のものだ。
 大体そんなことを、まくしたてるようにレオナルドはザップへと言葉にしてぶつける。玄関先で、大声で、喧嘩腰で話しているなんて、ご近所に聞こえていたら揉めているのかと勘違いさせてしまいそうなくらいだった。
 それなのに、ザップはすっと目を細め、言葉を零すレオナルドの唇を触った。すりすりと撫でてくるそれは気持ちがよく、そんなことをされてしまったらもう言葉なんて出てこない。
「お前の、食べてる姿が好きなんだよ」
「へ……?」
 親指は唇を一通り撫で終わったかと思えば、ぐっと歯を押し退け、口内へと侵入してくる。
「こんなちっせー口なのに食べ方は豪快で、案外男らしいし、お前がハムスターみたいに口もぐもぐしてっとこ見てると、なんでかすげぇ興奮すんだよな」
 口内に突っ込み、舌を撫でていた親指はすぐに取り除かれ、レオナルドの唾液がついた親指はザップの唇に当てられる。まるでハンバーガーのソースを舐め取るような仕草なのにやけに色気を醸し出していて、もう二度と邪な気持ち無しでは、ザップがハンバーガーを食べているところを見れそうにはなかった。
「その口で今すぐキスしてもらいたい、その手で抱いてほしいって、そう思っちまうから昼は一緒に食いたくねぇんだよ」
 ザップは少しだけ湿った唇をレオナルドに重ね、軽いキスを一つ落として笑う。そして耳元で、小さく囁いた。
「だって、抱いてもらいてーって時に抱いてもらえないなんて、さみしいだろ?」
 ぶわっと顔が真っ赤になるレオナルドを見て、ザップはくつくつと喉を鳴らして笑った。じゃあまた夜に、なんて言葉を残し、ザップはさっさと部屋を出て行ってしまう。あれだけの熱を孕んだ視線も、とろけた瞳もいつの間にか消えていて、跡形もなかった。
「そ、そんなこと言われたら……もうアンタと外食なんて出来ないじゃないですか!」
 残されたレオナルドの叫びは、二人の過ごした部屋へ溶けていく。それでも尚、にやけた顔は元に戻らず、今日は遅刻してしまいそうだった。



 かりっと焼けたトーストに、やわらかい半熟のたまご。しゃきしゃきと音を立てるサラダにしたって、それらは全てレオナルドを着飾らせるための道具にしか見えなかった。
 少年らしい薄い色の唇に、食べ物が吸いこまれていく。トーストをかじって口元についたパンくずも、口に入りきらず皿へ戻っていくサラダのレタスも、どこか大人びたレオナルドを子どもに戻してくれる。不思議な感覚だ。
(こんなガキみてぇな食い方なのに、なんでか目が離せねえんだよな)
 自分もトーストを齧りながら、見られて食べにくそうにしているレオナルドを見つめる。こっちをちらちらと見てくるから、ふっと笑ってやればレオナルドはほんのりと顔を赤く染めて目をそらした。こんだけで動揺するなんて可愛い奴だ。
 そんなことを考えていると、居たたまれなくなったのか、レオナルドは食べるスピードを上げた。
(あーあ、そんなことして。……もっと慣れたらゆっくり食うようになんのかな)
 焦れば焦るほど、ミスは増える。レオナルドもそれは例外ではなく、焦って食べた結果、トーストに乗った半熟のたまごがとろりと口の端から零れた。
「ん、っ」
 右手で持っていたトーストを即座に左手に持ち替え、顎を伝って落ちそうになるたまごの黄身を指ですくってそのまま口へと持って行った。それでも口の端に残ってしまったのか、レオナルドは一度トーストから口を離し、真っ赤な舌でぺろりと唇を舐める。
「っ……」
 思い出すのは昨日の夜のこと。
 長く、熱烈なキスを何度もされ、口の中に収まりきらなかった唾液が口の端から零れ、顎を伝って落ちていく。それをあまり気にしない自分とは違い、レオナルドは垂れていく唾液を指ですくって口の中に戻していた。
 まるで、ザップのものであれば一滴でも惜しいと、そう言わんばかりの行動だった。
(……あーやっぱ、コイツの食べてる姿、すきだなぁ)
 出かけ際に一回だけでいい、その口でキスをしてもらおう。ザップはそう企んで、手に持つトーストをかじった。


 

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