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パスタにピザ、フライドポテトにハンバーガー果てはあのケンタッチーですら、ザップさんは半分程食べてから吐き出した。
 
「不味い…」
 
自分の言葉が信じられないようにザップさんは僕を見た。当たり前だけれど僕の顔に答えは書いておらず、そのことに苛立つように舌打ちしては再びケンタッチーに手を伸ばし、一口齧る。
無理やり喉を鳴らす音がしたけれど、そこからさらにかぶりつくことは無く、無造作に投げられたケンタッチーは僕の後ろのゴミ箱へと落下した。
 
「あーもー捨てないでくださいよ!」
「うるせー責任者呼べ!誰だよHL中の飯不味くした奴は!出てこい!叩っ斬ってそいつの腹の飯食ってやる!」
「やることがエグいですしそれただのゲロですけど!?」
 
簡易机を見渡せばザップさんが食べかけては押し戻した惣菜の山が出来ており、試しに近くのフライドポテトを1つかじる。
正直美味しくない。油っぽいし、なんか変な味がしなくもない。でも二口三口と無理やり胃に流し込めば、体が思い出してくれたのか少しずつ抵抗が薄れてきた。
ポテトに手を伸ばすスピードが上がるところをザップさんは黙って見ている。一袋食べ終えた頃には違和感などとっくに消えており、気がつくと君悪そうに見ていたザップさんと目があった。
 
「え、気持ち悪い」
「そんな真剣にドン引きするなよ〜どれもあんたが愛食してたもんです!ほら!このポテト食べてみて!」
「レオが毒見してからな」
「さっき一袋食べたの見てたでしょうが」
 
はい、と押し付ければ渋々そうにポテトを齧り、先程と同じような音が喉から聞こえた。
重い鉛を持っているかのようにポテトを持つザップさんの顔には、もう一口も口に入れるかという確固たる意志が感じられた。
 
「え、お前これが食えたの?マジで?油ギトギトで塩と香辛料とどこ産か分からねー化学調味料びっちしのこいつを?」
「ちょっと前まで美味しそうに食ってたでしょうが」
「あん時はこんなにチカチカした味しなかったしよ…ぜってー同じもんじゃねぇわ。やっぱお前なんか入れた?」
「そんなナチュラルに疑わないでください!」
「入れて、それで俺になんかしようとしたんだろう〜エロ同人誌みたいに」
「んな馬鹿のことしね〜よ〜」
 
ゆさゆさとザップさんの肩を揺すっても、ニタニタした顔は一向に変わらない。
もうこのやりとりを何回したことか。ザップさんのツボにはまってからチャンスがあれば言われ続けていたが、この状況になってからさらに言われる回数が増えた。
 
「だってお前の持ってたエロ本に書いてあったじゃねえか」
「それと!現実は!別物ですから!」
 
このやりとりも何回もしているけれど未だに飽きる様子がなく、もう過去に飛べるなら昔の自分に言ってやりたい。
『そんな分かりやすいところに隠してると、ザップさんは嬉々として読みだすぞ』って。
そんな優しい神様がいないから、過去の僕はベットの下なんかに例の物を隠してザップさんに爆笑されたんだけど。
そりゃこの未来を予想しようと思ったら出来たかもしれない。我が家をまるで自分の家のように扱い、渡した覚えのない鍵で居座り出した僕の恋人の傍若無人っぷりを、知らなかったわけではないのだから。
だから隠していたものを暴かれるのはもう、諦めた。けれどまさかネタに使われるとは思っていなかったし、予想できたと思えない。傍若無人とは別のカテゴリーだ。というかどこにいれたらいいのか悩んで諦めた。
 
「俺が持ってるやつ使いたかったら優しく教えてやるからさ」
「だからいれてねーって。もしそうなら僕、自分で入れた変な薬風味のフライドポテト食ってたことになるんすけど」
「あー…、お前も興味あったんだろ。な?」
 
返し雑だなー。
ザップさんにとっては僕をからかえればそれでいいんだろうけれど、そのせいで僕は恋人に食べさせる予定の食べ物(媚薬入り)を自分で食べたバカか変態みたいになってるんですけど。
もうこの人それさえ言えたら全部どうでもいいとすら思っているいないだろうか。
 
「薬が入っていたって食いたくねーけどな。よく食えるぜ」
「そりゃ最初は吐きそうになったのも分かりますけど、もう2週間ですよ?いい加減戻りますって」
「そーだなー俺を置いてお前だけ直ったなー」
 
ぶつくさ文句を言いながら器用に袋をくるくると振り回しているザップさんは、もうそれを食べ物と認めないかのよう。
そう、2週間。
例の超高級店モルツォグァッツァで行われた会食から、もうそれほど経つのだ。あの会食でもいろいろなことが起こったが、次の日スティーブンさんですら予期していなかった事態に僕らは陥っていた。
普通のご飯が食べられない。
あまりに美味しい料理にありついた僕らの胃は、普段食べる激安ジャンクフードと世界の食のてっぺん、その格差を知ってしまい、あまつさえそれを食の標準と誤認識したようなのだ。他のみんなは大丈夫だったらしい。せいぜい次に食べたご飯にため息をつくくらい。
僕とザップさんだけ、次の日から全く食事を受け付けなくなってしまっていた。
最初は僕も結構酷かった。匂いだけでダメだった料理など片手で数えられないくらい存在したし、体重が1キロ減った。それでも日々少しずつジャンクフードで胃を犯せば、元の味覚を思い出していき、今では殆ど昔と変わらない。
ザップさんはまだ机の食べ物をじっと見ていた。
値踏みして、けれどもうどれも手をつけようとはしない。でも、残したくはないとでも言うように、見つめたまま。
 
「…ザップさん、もう止めましょう」
「…おう」
 
2週間言い続けたこの言葉。僕が止めるとようやくザップさんは惣菜の山から目を離し、隣のベッドに横になった。
恐る恐るその横に寝転ぶも、エッチなことをしようという気分にはならなかず、ただ腰に手を伸ばした。何発か足に食らったが、振り払う元気がないのか恋人ということで許してくれたのか、すぐに大人しくなった。
もともと細い腰は、いつの間にか両腕があっさり届くくらいになっていた。
そう、ザップさんだけ違った。
いつまでも、食べては吐き続けた。
 
 
例えば、二週間3食しっかり食べたとして合計食事回数は42回。
つまりその間42回分は更生手段を模索して、今44回目に失敗したのだろうか。
そんなことを思いながら、僕はその44回目となる目の前のピザをザップさんが2ミリずつ食べてる姿を見ていた。
胃に何か入れないといけないことは自分が一番分かっている。
そう言って少しだけグレードを上げたピザだった。
ザップさんの顔を見る限り、そのわずかな贅沢は身を結んでいないようだけれど。
 
「大丈夫ですか?」
「…吐きそうじゃない」
 
なぜ食事をした感想が美味しいや不味いでもなく、嘔吐の心配なんだろう。
 
「ここもダメそうですね」
 
ツェッドさんのため息。珍しく呆れた色が全くないけれど、ため息はため息だ。人の心にのしかかるものには違いない。僕の心にはもちろん、ザップさんにもそれは引っかかって重しになっていた。
 
「大丈夫だって言ってるだろうが」
「あなたが言ったのは嘔吐するかどうかでしたよ。そんなことを言っている人がここで食事するのは相手にも失礼なのでは?」
 
その直線的な言葉にあわや喧嘩の仲裁が必要かと思ったが、予想に反してザップさんは黙ったままピザを食べていた。2ミリずつを3ミリくらいに変えるだけ。
レオやる、と半分こちらに渡したからあながち意見を聞く気だってあるのだろう。色々正反対である2人だが、食事関係は共通して誠実なのだ。ザップさんは意地汚くもある気がするが。
 
「ちっ、なんで俺がこんな目に…」
「日頃の不摂生…なんですかね?」
「それにしてはレオ君も結構ひどくなかったですが?」
「いやー僕ここに来てからの食生活本当貧相で」
 
ザップさんから押し付けられたピザはもう僕の味覚に違和感を残すことなく、素直に美味しいと思えるものだった。
多分、これ位のものを昔家族といた時は食べていた気がするけれど、いつの間にこんな美味しい料理を軽々と食べられなくなったのやら。だがこのピザですら、ザップさんは義務感で食べている。
僕は完治しちゃったんだ。
その気持ちだけが、美味しいはずの食事に影を指す。
 
「こいつの飯がひんそーなのは間違いなくゲーム機買漁るからだろ」
「あんたの飯代もバカになってませんよ」
「俺のは飯より酒です〜」
「偉そうに訂正しなくても知ってますよ?その酒をリバースするのは僕のうちなんでね!」

おまけに洗面器を用意したらタイミングよくその横で吐いたりするのだ。また無駄に吐き慣れた風格で『またここで吐いちまった』みたいな顔しているのがムカつく。猫かあんたは。

「たまにはまともなご飯食べて、吐かないで寝てください!猫だってもう少しまともな生活してますよ」
「お前言っとっけど俺の生活より猫の方がいい時あるぞ?あいつらゼータクな服着て食物可愛く食べんのが仕事みてーなもんじゃねーか」
「あんた猫に負けるって悲しくないですか…多分僕も負けるけど」
「そういえば兄弟子の食生活は知りませんが、食生活以外にも考えられるものがありますよ」
 
今度は僕らで言い合いは続くかと思われたその時、ふと思い出したかのようにツェッドさんがつぶやいた。
 
「僕あの食事に似たものを食べたことあるんですよ」
 
その言葉に2人して口の中のものを吹き出し、思わずその発言者を凝視した。
ザップさんなんか羨望と嫉妬でものすごい顔している。窘めたくても僕も冷静を保てているかは怪しいから無理だ。というか今はそんなことどうでもよかった。
一体いつ、どこで、誰と、なんで。
 
「あ、いや、料理自体のですよ?こう、人界にない食材を使ったって意味で!!あんなこの世の美みたいな美味しいものではなかったですからね!?」
「なんだよ…びっくりしたじゃねーか」
「よかった。何が何でも教えてもらおうと身構えちゃいましたよ」
「義眼見開いて言われると真実味が増すんでやめてください…。耐性って意味では、そういう差がこの人とあったのかもしれませんねって話で」
 
ツェッドさんのその言葉は、正直盲点だった。
もちろん食生活がお粗末なことも原因ではあるだろうけれど、あの料理に使われていたものは異界のものだってある。怪しいものと言わずとも、体質に合わないもの等あったかもしれない。
どんなものを食べていたか聞けば、確かにそれはこの街でもなかなかお目にかかれるものではなく、なんなら値段すら聞きづらいものばかりだった。
そうか、僕らにはその差もあるのか。帰ったら誰かに聞いてみよう。
 結局ピザはほとんど僕の胃袋に入った。
 

「それは確かに、あるかもな」
 
ふむ、と僕の話を聞き終えると、スティーブンさんは書類から顔を上げた。
 
「ここが異界に飲み込まれてすぐなんて、一番多かった事件が食中毒だったよ」
「え!?」
 
意外だった。この街が出来た時なんて僕は知らないけれど、本当に最初から世界の命運を奪い合っていたイメージがある。
色んな思惑の上に普通の人の生活が乗っかっているというか、引っかかっているというか。
そんな街の最初の事件が食中毒ばかりだなんて。
 
「意外か?」
「まぁ、今と比べたら」
「この街は或る日突然ばらけて一塊にされたようなもんなんだ、異界とね。ある日気付いたらそこにあって、人々は分からないままに自然とそれを受けいれた。ただそうすると当然受け入れたものの中にある危険なものすら判断がつかない。こんな風に」
 
ごそごそとスティーブンさんが引き出しから出したものは、一冊の資料。
タイトルは「HLで起こった食中毒と人体の関係性について」。
制作された日付はまさに大崩落から2週間後、といった感じだった。促されるままにページをめくると、まぁ出てくる出てくるゲテモノグロモノ写真のオンパレードと被害報告の数々が。
 
「うっわー、こんなの食ってたんすね昔」
 
カラカラと音が聞こえれば、いつの間にか僕の後ろでザップさんが覗き込んでいた。
食物じゃない、みたいな顔して悪いんすけど前にこれに似たもの食って腹壊した人間の顔じゃないですよ?
 
「おいザァップ、あの時確かに変な薬やってなかったよな」
「あの時って?」
「会食の時だ。怪しい薬はあの時だけ足を洗えって言っただろう?」
「だからしてないですって!!何度も聞かないでくださいよ!!」
「じゃあやっぱりこれかもな」
 
コツコツ叩かれるゲテモノ料理オンパレードの資料。なんだかこれとあの素晴らしい食事を一緒にしてしまうのは申し訳ない。
めくられたページには、あまり美味しそうに見えない料理そのひとつだけをずっと食べ続ける男の資料だった。
 
「この男はこれを食べてから、それ以外は栄養としてつけつけないようになった」
 
ザップさんだ、すぐにそう思った。
そこを急いで斜め読みする。資料には原因が羅列されており、その食材固有の性質からくる症状のものもあれば、患者の人種、生活リズム、常飲しているものの種類等が原因のものもあるらしい。
 
「え、つまり、俺食中毒的なものであの高級料理しか食べれねー体に!?」
「なんでそんな贅沢な身体になるんですか!せめてお酒が飲めない身体になってください」
「薬も入れるんだ少年」
「俺に対して扱いひどくねーっすか!?修行僧にでもなれと!!」
「むしろ修行僧に謝れ」
「食中毒って程でもないさ。あくまで大元はお前の貧相な食生活が原因だ」
「まぁ、今日行ってきてもなんとも言われなかったんでしょう?」
「確かにあの医者なら原因知ってりゃ言うだろうけどよ」
「じゃあやっぱり僕らがどうにかしなきゃいけないんですね」
 
エステヴェス先生が分かっていたのかいなかったのかは分からないけれど、結局診断結果は「根性で食べて胃を慣れさせろ」だったのだ。
『あーダメダメ薬で治らないから。そんな簡単なものじゃないわこれ。どこも悪いとこないもの』
僕もザップさんと仲良く聞いたその言葉。
根性論で治すしかないと言われ、実際僕はすぐに治った。
けれどザップさんは。
 
「にしても…食べ慣れない高級料理に入っていた食材で、たまたま食中毒まがいの症状を出すなんてお前本当ついてないな」
「笑わないでくださいよ!」
「いやすまん。なんかツボったみたいだ」
 
スティーブンさんは本当にツボったのか笑いを必死に嚙み殺している。何が面白いのか全くわからないんですけど。大丈夫かなこの人。ザップさんは怒って座りにいっちゃったし。カラカラとザップさんが歩く音がする。
チラリと後ろを向けばどかりとソファに座るザップさん。その隣には彼の私服には全く似合わない点滴がある。
 
「だってこんなのもう絶滅危惧種レベルの事件だぞ?普段金をどうしようもないことに使ってる報いだと思って、今度から食生活を改善しろ」
「じゃあ改善するんで給料あげて下さい」
 
またスティーブンさんが笑った。
僕でもわかる。何嘘言ってるんだこいつって笑いだ。
 
「お前にやればどんな金額すら端た金となるだろう?」
「そんな一瞬で無理みたいに言わないでくださいよ!」
「無理とは言ってないじゃないか。事実は言ったけど」
「俺だってやれば出来るんです!3日くらいはいけるよな!レオ」
「3日って思ったより頑張る気ないだろ」
「僕にはわかってますよ。給料はいつも通りすぐ使いきって張り切るのはカツアゲとヒモ生活でしょ」
 
ぎくっみたいな顔してるとこ悪いんですけど、それ普段の生活と何が違うのか突っ込みたい。
この後のプランも全て言えそうだ。なんなら誰の財布に頼るかまで。何故なら一番のカモが僕だって決まってるだろうから。
 
「でも割と本気で死を覚悟する瞬間空腹であるんすけど」
「大丈夫だ。仕事上医療費は出してるから死ぬことはない」

うわはっきり言い切ったこの人。
その爽やかな笑みに僕らは苦笑いするしかなかった。ザップさんがいましている点滴も確かにライブラが経費で出してくれているものだから、これがなければザップさんはとっくの昔に倒れている。
今のザップさんの主食こそ、点滴と言って過言ではない。
 
「そりゃこいつは自腹で払えないっすけど、こいつのせいで色々不便なんだよ。一思いに暴れられねぇ」
「それはいい。経費が減るからずっと点滴から栄養を取ってもいいんだぞ?」
「ぜーってーやです。暇で死にそうなんだよ」
 
あー暇だ暇だ、とソファに寝転がるザップさん。
暇だというたびに増えてくるスティーブンさんのプレッシャー受けてるの僕なんですけどその自覚はありますよね?
じろりと見ればこちらを伺うザップさんの目とかち合った。すぐ逸らされたから一瞬だけ。
そらさないでくれ…。
やっぱりわかってる上にわざとスティーブンさん怒らそうとしてるのだ。暇だから「そんなに暇なら働け」ってドンパチに巻き込んで欲しいんだ。せめて僕に気づかれないようにして欲しい。
ザップさんは僕に対して形容し難い甘さがある。
色々甘えてくる時もあれば、こんな感じに勝手に共犯者扱いしたり。僕がチクったらどうするんだろうなんて時が何回もある。それをたまにしか裏切らない僕も僕なんだろう。
けれど今回は、告げ口するまでもなく全てがスティーブンさんにバレていた。
 
「そんなに暇をアピールするなら、僕の書類整理手伝うか?」
「結構です」
 
毎度毎度ザップさんは飽きずに自分を仕事に駆出させようとして、その度にスティーブンさんはあしらってきており、点滴の引きずる音と2人のやりとりがここ最近のライブラ事務所の日常だ。
 
「いい加減諦めろ。今のお前じゃ足手まといだ」
「ちぇーどうせ今の俺はしけたマッチ以下の使えねー存在ですよ」
「スティーブンさん、ザップさん拗ねちゃったんですけど」
「ほっとくさ、こればっかりはダメだからな」
 
これで話は終わりなのだろう。スティーブンさんが書類に顔を落とした。
僕は机に残った「HLで起こった食中毒と人体の関係性について」を手にとって、ソファに座って軽くめくってみる。
掲載されている料理は見目美しいものもあるが、殆どが躊躇してしますような今のHLでも売っていないものばかり。この中のどれかを、昔ツェッドさんは食べたことがあるのだろうか。
『昔食べたことがある』時のことも僕達は昼時に聞いたけれど、ツェッドさんは快く教えてくれた。ただそれを語る時の目は、遠くどこかを見ているようで。ただの影のはずなのに下げた瞳が暗く見えて。
思い出した過去が遠く昔の、もう今はないものなのだとなんとなく思った。
ここに来てから身を以て分かったけれど、食は自分自身を作る。その時食べるものはそこに住むからこそ食べられるもので、それを食べて生き物は生きていく。みんな食べて過去を作ってきた。それを疎かにはできない。
ツェッドさんは僕と全然違う日々を昔生きていて、僕も今とは違う、けれど普通の生活をしていた。
じゃあ、ザップさんは?
何を食べて生きてきたんだろう。普通のものの気があまりしなかった。僕と違って今もザップさんの主食は点滴の栄養剤なのだから。
すぐ下には原因と思われたものが羅列された資料。このどれかがザップさんの過去に該当するんだろうか。
ザップさんは何を食べて、何を見て、今のザップさんになったんだろう。
良いイメージはあまり湧かなかった。
 
「おいレオ!」
「え、」
「何度も呼んだのに無視してんじゃねーよ」
 
いつの間にかザップさんは帰り支度を終わらせていて、点滴もなくなっていた。
 
「お前もうすぐバイトじゃねーか。暇だから送ってやる」
 
慌てて時間を見ればそんなに急ぐほどの時間ではないけれど、仕方がないからそういうことにしておくことにして、慌てて支度をする。いづらくなったのかもしれない、さっきは助けられなかったことを思えばささやかな我儘だ。それにザップさんもそのまま僕の家にいるつもりなのだろう。
 
「あ、少年ちょっと良いか?ザップ先行ってろ」
 
僕が急いで支度をしていると、スティーブンさんがこっちに来るように手招きをして僕を呼んだ。
ザップさんは間延びした返事で階下に降りていき、事務所には僕とスティーブンさんだけに。
 
「少年、本当にあいつは変な薬をしてなかったんだな?」
「えぇ、なんだかんだで楽しみにしてましたし、言われてたことは守ってましたよ」
 
驚いた。そんなに聞き出さなければならないほど疑っているのだろうか。ザップさんなんてその日のために3日前から売られた喧嘩以外は買わなかったし、なんか巻き込まれたら困るってギャンブルと酒まで絶っていたのに。
ザップさんは豪華な食事のために慣れないタキシードすら来たんですよ?偉くないですか?
そう言いたかったけれど、ただの惚気で信ぴょう性になんのプラスにもならない事をギリギリで気づいて黙った。
 
「あー、言いにくいが、少年もその、ちょっとしたいたずらで飲ませたりなんか…」
「いやいや、してないですって!なんでそんなこと!」
「いや違ったら良いんだ。ただザップがな、『俺いつかレオにあいつのエロ本みてーなプレイされるんすよ〜媚薬しこまされて』
って言ってたから…」
 
あの人上司になんっつうこと言ってるんだ!?
うわー!うわー穴があったら入りたい。むしろ僕が穴になりたい。スティーブンさんの目が急に痛くなってきた。この人からしたら僕は今クズな先輩に欲情して犯罪起こしかねない危険人物じゃないか。僕達の関係はなんとなく誰にも打ち明けてなかったけれど、それが今仇となった。
だって、そんなことあると思うだろうか?付き合ってた報告をしなかったばかりに、自分が犯罪者予備軍みたいな目で見られる未来なんて。気恥ずかしくて宣言するようなことでもないから言わなかっただけで!?
もう本当にそれだけは言うの耐えてくれよ〜。僕は耐えたじゃね〜かよ〜。
 
「あの、そんなことする気全くないですからね…?」
「あぁ、念の為だよ。少年だってタイミング位考えてやるって分かってるから」
「分かってないですよねそれ?」

やらないですから!まず持ってない!自制以前に盛る勇気がない!したい気持ちはあるけれど!
 
「いくら付き合ってるからって節度は持てよ?」
「いやだからしな…………い、言いましたっけ」
「ザップから聞いた」
 
逃げ道が一つもない。
僕はもうスティーブンさんの冷たい視線に耐え切れず頭を抱えた。
口軽いなあの人!そりゃ言うなとは言ってないですけど!僕なんで呼び止められてこんな冷たい顔でザップさんとの付き合いについて言われなきゃいけないんだろう。
ザップさんの発言がもう9対1くらいのデメリットを生じている。残りの1は犯罪者予備軍と思われないですんでたってことだけ。
違う意味で哀れみのこもった目線を向けられているという事実は残ったままだけど、それは考えないことにした。
 
「まぁ、分かりやすかったがな。浮かれすぎなんだよお前ら」
「そんな分かりやすかったですか!?」
「ザップが特にな。酒を飲むと緩いぞあいつ」
 
スティーブンさんの口からはザップさんがいかに普段惚気てくることや泊まった次の日が特に分かりやすいことやら。出てくる出てくる積み重なったイライラと証拠の数々が。
ザップさんに言わないと直らないんじゃ…なんて思ったの最初だけ。戦犯が僕とザップさんで4:6だから僕もなにも言えない。
 
「以上、分かりやすいから気をつけるように。ザップ絡みで誘拐なんかされて、助けに行くこっちの身にもなれ」
「あ、一回ありましたけどザップさんと何とかなりました」
「お前らなんでそれで付き合ってるんだ…あ、良い言うな。興味はない」
 
あ、これお酒飲んでやらかしたのザップさんだけじゃないな。
のろけへの拒否の仕方が堂に入っていた。
じゃあ、とスティーブンさんがゴソゴソと封筒を1つ取り出したかと思うと、僕に渡してきた。恐る恐る受け取り中身を確認すると、お札の顔と目があった。それも1人じゃない。
 
「じゃあ少年頼んだぞ。結局有効策はないんだ。それ使っていいからこの際催眠術でもなんでも使ってあいつを元に戻してくれ」
「もうなりふり構ってないっすね」
「ザップが抜けるとやっぱりきつくてな」
「今血法使ったら貧血で倒れちゃいますからね…。取り敢えず今日ちょっと贅沢しようかなって思ってたんです」

今日は僕らの給料日で、僕はこの日の為に短期のバイトもして、いつもより背伸びしたレストランで食べようと思っていた。
『より高いものを食べればそっちに慣れるから気をつけるように』
エステヴェス先生からはそう言われていたけれど、せめて食べるきっかけにでもなれば。

「そうしてくれ、早く僕も無意味に笑わなくて済むようにしたい」

 あれ自分でもよくわかってなくて笑ってたのか。
手元に増えた軍資金は短期で働いた僕の給料よりは高く、それだけスティーブンさんも真剣なのだろう。
一番最後に聞いたこの人の闇は心の内へしまい聞かなかったことにして、僕は有難く頂いて事務所を出た。
 
「おせーよ、何してたんだよ」
 
すぐ外ではザップさんが待っていて、僕に気づくとタバコをもみ消し歩き出す。
 
「スティーブンさんからボーナス貰ったんですよ。そういえばザップさん!スティーブンさんに僕たちのこと言いましたか!?」
「いや言ってねーけど」
「バレてて…惚気るなって言われました」
 
直球に先ほどのことを伝えれば、盛大にザップさんがむせた。
白黒した顔を見れば本当に自覚がないようなのが分かる。余計にたちが悪い。
 
「おま、口軽いぞ!?」
「あんたが言うな!!」
 
僕もやらかしたけども!一応ザップさんよりはやらかしてない。
事細かに言われた事を教えれば、ため息とともに僕の方へと肩を手を伸ばし肩を組んだ。身長差のせいで普段は少し高いザップさんの顔が、今はとても近い。隣を見たらまつ毛が見えるんじゃないかって位だ。頬に当たる吐息のせいで理性と無縁の場所で何かが暴れる。
 
「ま、良いんじゃねぇの?隠してなかったしよ」
 
よく見えるこの目で見れば、ザップさんがとびきりの笑顔でこちらを見ていた。
ザップさんの瞳がとてもキラキラ光っている。霧で薄くぼやけた視界の中、その瞳だけ淡く光るのだ。
恥ずかしくないですか?
そう聞く前にザップさんは口を開いた。
 
「恥ずかしいけどなー!このもじゃ毛たっぷりの童貞君と付き合ってるなんてザップレンフロ様の名が廃るから」
「じゃあ」
「でも仕方ねーだろ。本当なんだから」
 
ザップさんの手が髪の毛をクッシャクシャにこねくり回す。
 
「この街にもう一回大崩落が起きて、2年前みたいにある日急に元の街に変わったって、俺の彼ピッピはお前だけなんだよな〜」
 
彼女は沢山いるけど。
なんてこと言って、くしゃくしゃと僕の頭をこねくり回す。どうしてだろう。何故それがこんなに嬉しいのだろう。
 
「2人分のやらかし案件聞かされた僕の身になってくださいよ」
「ちなみにどんな気分だった?」
「恥ずかし過ぎて僕が穴になってザップさん放り込んで消えたい気分でした」
「普段穴に突っ込んでるのはレオだろ」
「そっちの話じゃねーよ!!!」
 
ザップさんは嫌がっても恥ずかしがっても、それだけだった。
ばれた事だけに肩を落として、男である僕と付き合っている事にはこうやって頭をボサボサにして終わった。
それがこんなに嬉しい事だったなんて。
後少しで店に着く。本当は体重を乗せまくってる重たいこの人から離れて、髪の毛をこんな風にした恨み言を言って、別れなければいけない。
そりゃあザップさんとはすぐに会える。ザップさんの行くところなんて、今は僕の家だけだから。彼女が沢山いるなんて言っているけれど、最近は僕の家以外どこにも居座っていない。
食べなくなってから徐々に愛人さんとは疎遠になっている。それを、僕は多分安心というか、喜んでいる。
だからすぐに会える。でもご機嫌なザップさんはなんだか久々で、重たい体から伝わる熱は暖かくて、結局離れてくれなんて言えなかった。
 
「帰ったら、一緒にご飯食べに行きましょうね」
 
そうしすればきっと何かが変わってくれる、元の沢山食べるあなたに戻ってくれる。ほんの数十メートルなんてすぐ歩き終わってしまって、バイト先なんてあっという間に着いた。未練がましくそう言えば、肩に置かれていた手で顔を持ち上げられた。
何かを言う前に、僕の口にザップさんの唇が重ね合わされる。
 
「行ってらっしゃい、ダーリン」
 
別にスティーブンさんにはバレてるだけで他の人は違うんですよ?
そんな野暮な事、ザップさんの唇の柔らかさの前では些末なことで、ただしろどもどろで返事するのが精一杯だった。
 
 
そして数時間前の僕は、なんでそう全てが上手くいくと思ってたんだろう。
 
「おぇぇ……」
「…ザップさん」
 
それしか言えなかった。背中を必死にさする。
いつもなら振りはらわれるのに、今日はそうされなかった。気まぐれか、そんな気力がないのか。弱々しい肩が後者を示していた。
 
「何かいります?ザップさん」
「もう何もいらねぇ」
 
苦しそうにえずく音だけがひどく響いた。
食べている時は普通だった。お酒だって飲まなかった。本当に久しぶりにザップさんと食事をした。
緊張したけど美味しかった。ザップさんはそう言ってた。食べすぎかもと思ったけれどその時は特に何も言わなかった。帰ってきてから、少しずつ口数が減った。バケツを持ったかと思えば、もうずっとこれ。
 
「僕が、食事しようなんて言ったから」
「ちっげーよバカ」
「でも…」
 
僕が楽しく食べてるから、だからザップさもいつもみたいに警戒もせず、美味しそうに食べていた。それで僕は安心していたんだ。やっと食べれたって。こっから少しずついろんなものを食べれたらって。
わずかに揺れる肩が細い。それが元に戻るんじゃないかって。
 
「もう、食べなくても良いかもな」
「え」
 
吐ききってひと段落したのか、ザップさんが顔を上げた。やつれたその顔に苛立ちを被せ、その下から諦めの色がうっすらと見えるかのよう。
 
「別に食わなくても生きていけるし。スティーブンさんも言ってただろ?医療費は出すって」
 
またえづき出したザップさんを見ながら、僕は必死にその言葉を噛み砕いていた。
そりゃあ、今回の事はクラウスさん達の好意で出してもらっているし、点滴さえしてたら一般的な生活くらい問題なく送れる。
道徳的なことを説くつもりなんてない。意味がないってわかっているし、引っかかっているのはそこではないから。
僕が口ごもれば苛ついたようにザップさんが顔を上げる。
なんか文句あんのか。向けられた目がそう語った。
 
「じゃ、じゃあザップさんはもう暴れられなかったり、愛人さんとこ行かなくても良いんですか?」
「諦めてねーけど、仕方ねーだろ。レオだって嫌がってたじゃねーか」
 
このままザップさんがずっと食べれなかったら、僕の悩み事は色々減る。
戦闘で怪我しないかとか、僕のせいで怪我しないかとか、暴れすぎて変な借金背負わないかとか、入院しないかとか、怪我しないかとか。
それに、点滴生活はザップさんが僕だけのそばにいる。愛人達のところに行かないザップさん。僕はそれを喜んでいたはずだ。食べなくたって、生きていけるなら良いじゃないか。食べなくたって。
しんどい思いをしてるのは僕ではなくザップさんで、本人が良いというなら僕はそれを止める権利などないのだから。
けれど。
 
「ライブラは、どうするんですか?」
 
そうですね。
精一杯認める姿勢でそう言うつもりだった。代わりに口にした言葉はいとも簡単にザップさんの機嫌を下げていく。
 
「あそこにゃ仕事なんていくらでもあるだろ。戦闘だって、チンピラくらいにゃ負けねぇよ」
 
意外なところに落ちていた、暴れない女の人にだらしなくないザップさん。
それはとても良いことのはずだ。
背中へ回していた手から伝わるのは、何故か僕よりも貧相と錯覚させる肉つきの少なさ。
ほとんど分からない位のこの人の体の変化に、一体何人が気づいてるんだろう。
これはとても良いことのはずだ。
このまま食べなければ、ザップさんはいつか血法を使えなくなるのだろうか。
食べることによって血液は出来る。それがおろそかになったザップさんは昔よりはるかに血法が使えない。
思い出すのは、赤い糸と、炎を操り疾くかけるあの姿。
今何も言わなければザップさんは血法が使えなくなるかもしれない。
それは本当に良いことだろうか。
まるで僕といることでいろんなことから目を背けるかのようなザップさん。逃げ場としてのレオナルドウォッチ。
『レオ、これ美味いな!』
義眼を使わずとも簡単に再生される、幸せが形となって現れたかのような笑顔。
それは本当にいいことなのだろうか。
良いわけがなかった。
 
「ザップさん、」
 
なんて良いわからなくて、名前を呼んだ後も何も言えなくて。けれどごちゃごちゃ考えるのを止めるとするりと言葉が湧いた。
 
「そんなの、ザップさんじゃないです」
「俺じゃないってなんだよ」
「僕が嫌なんです。夜僕の所にばかり来て、全然何も食べなくて、何より血法を使わないなんて絶対に嫌です」
「お前矛盾してねーか?」
 
ザップさんに言われなくたってわかっている。
女の人のところに行かないでほしいし、諍いが好きなところだって冷や冷やする。けれどこんな理由で止めて、それは果たしてザップさんなのだろうか。
僕がすごいと思ったザップさんは、いつも戦場の中にいた。初めて会ったことは今でも鮮明に思い出す。煌めく糸を操っては敵を屠るあの姿。普段はどこまでもガサツなのに、その技はとても派手で繊細。あの姿に惚れて、愛人を囲う姿やそこで無自覚に甘えるところを可愛く思って、引いた線の内に入れられたらそりゃあもうたまらないくらい愛おしくて。
僕が愛したのは、悲しいかな。クズでやかましくてこの眼越しにとても美しく戦うザップさんなのだ。
だから僕は矛盾なんて気にしていられない。
 
「してますね、してるでしょーよ。でもそれは今関係ないです」
「俺が良いって言ってるじゃねーか、それは関係ないのかよ」
「それも関係ない」
 
自分でもハチャメチャな理論だ。でも、本来この人は理屈で曲がる人じゃない。理屈なんていらない。
 
「とにかくザップさんらしくないんです。そんな、そんな風に諦めるなんてあんたらしくない」
「お前は俺の何を知ってんだよ」
 
苛つく声が、聞いたことないような声色を帯びた。いや、一度似たようなものは聞いたことある。初めて会った日、僕とミシェーラの目について知った時だ。
 
「知らねーだろ?想像もつかねーだろーな。お前と一緒なら俺は今吐いてねーんだろうから」
 
昼間のことを思い出した。想像つかないザップさんの過去。僕ともツェッドさんともスティーブンさんクラウスさんとも似ていない人生。僕はこの人を全然分かってない。
けれど、何も言えないなんてことはない。
 
「でしょうね。でも、それがザップさんじゃないことはわかる」
 
伊達に付き合ってないのだ。他人が理解できない誇りも、よく食べるその姿も、そんな簡単に女遊びがやめられないことも、僕は見てきた。
ザップさんに出会ってからはずっと一緒にいた。そしてこの眼は色々なことをよく教えてくれる。
何がザップさんを作っているのかは答えられなくても、何を失えばザップさんじゃなくなるかくらい言えなくて何が恋人だろうか。
 
「ヤケになってるだけでしょう?でも絶対後悔しますよ」
 
だってあなたは大事にしていたものを、そんな簡単に失えないのだから。
両腕で肩を掴んだ。少しでも真剣さが伝わるのなら眼だって見開くし視線だって外させるものか。
 
「無理しなくて良いです。でも食べましょう。食べて、また僕にいつもみたいにタカって下さいよ」
 
僕は、いつものあなたが好きなんです。いつものあなた『で』いい、じゃない。あなた『が』いいんだ。そう続けるようにまくし立てれば惚けたような顔でザップさんがこちらをみて、誰も話さない静かな空間が自ずと出来た。
静かすぎて不審に思い、一旦眼を閉じてザップさんを見れば青い顔で一言。
 
「ちょ、たんま」
 
それをまともに意味を理解するよりも先に軽く僕を押しのけそして、すぐに嘔吐の音が聞こえ出した。
 
「な、なんでこんなに吐くのかな〜?」
 
食べた量より吐いてないかこれ。
オロロロといった感じで吐いているわけではないけれど、波のように浮き沈みしている感じだ。必死過ぎて強張っていた肩が途端に緩む。
 
「おま、必死、過ぎだろ」
「あーもー吐きながら喋んな!」
「なーにが、『食べましょう』だよ、草生えるわ」
「笑うか吐くかどっちかにしてくれ〜」
 
もはや水に近いそれが止まるまで、僕はずっとザップさんの背中をさすっていた。
真剣な空気なんてどこかへ行ってしまい、無理矢理話そうとするザップさんを何回も吐き終わるまで待てと押しとどめた。
けれどもう本当に吐かなくなった瞬間は、意外ととすぐに訪れた。
 
「いいのかよ。金がねーから今より酒飲まなくなるぜ?」
「その代わりクスリするでしょうが」
「もう奢らなくて済んだのによ」
「出費に差なんて出ないですよ」
「まぶい彼女のとこにいってもいいのかよ」
「なんでそこだけ不機嫌なんすか」
「そこ止めねぇとかレオのくせに生意気だから」
 
なんてわがままな発言だ。いつも僕が止めればそれはそれで愚痴を言うくせに。
 
「いいのか?美人のねーちゃんとこにいって、童貞くんが到底してこなかったあれやこれややってきて、本当にいいのかよ?」
 
念を押すような確認に、僕はなんて答えたらいいのか分からない。ただいいですよなんて強がったらぶっ殺す。そう目が語っていた。ふと思い出したのは数時間死ぬほどうれしかったあの言葉。
 
「彼氏は僕だけなんでしょ。ほかの男作られてから怒ります」
 
ふーん?とザップさん。その先の沈黙が耐えられなくて、続いて本音も零れ落ちた。
 
「でも、女の人と、僕としたことないことするのは、ちょっと嫌です・・・」
「ぎゃははは!!我慢できてねーじゃねぇか」
「一番は無理でも、オンリーワンだと嬉しかったり」
「我儘やのう」
 
不機嫌が一気に霧散するよう。吐き気も引いたのかザップさんはバケツをわきに押しやり、隔てたものがなくなった。
 
「しゃあないな。そんなに言うならもう少しまじー飯を食ってやるよ」
「はい、まだ治らないと決まったわけではないですし」
「もちろんレオの奢りな。やータカっていいなんてリッチな彼氏持てて嬉しいー」
「…ほどほどでお願いします」
 
ザップさんはとろけるような笑顔で笑う。この人の笑顔は何でこんなに勝ち誇ったかのようなんだろう。
…僕が言われたことが、ザップさんも言われると嬉しいのだろうか。
そうだったらいいなんて、それもザップさんからしたら我儘なのだろうか。
それから二人して布団に入った。手を引っ張られるままに。
吐き気もなくなって上機嫌なザップさんは本当になぜか服を脱ぎだし、ゴムまで出すもんだから必死になだめるのに時間がかかった。

「はあ?!おま、仲直りエッチしなくていいのかよ!!」

そう怒鳴るザップさんは完全にスイッチが入っており、曖昧な返事は火に油を注ぎかねない。
嫌も嫌も好きのうち。そんなノリから逆レイプみたいな乱暴さを孕んでいくザップさんとの議論は、

「…あんたの体今細すぎてたたないんです!」

このなんとも切ない僕の告白で幕を閉じた。
ザップさんも流石に惚け、自分の体を隈なく観察しだし、次に顔を上げた時は僕以上に悲しそうな顔をしていた。

「まじかよ…前は辛抱出来なくてやめろって言っても腰降ってたのに…もう魅惑のボディじゃねぇのか…」
「そ、そんなにショックなことですか?」
「自分のせいで彼氏がEDって相当ショックだな。俺今までその話してきた女馬鹿にしてたけど今なら痛いほどわかる」
「病気じゃないですけど!?」
「ちゃんと逆ダイエットするから。いつまでも立たなかったらおま、男としての価値ねーよ?」

あんたにとって僕はチンコだけか。
さっきした説得よりはるかに効果があったようなのが悲しかった。それからは暴れまわって目が覚めたこともあり、昔話をしてもらった。題名は「ザップレンフロの過去」。そんな沢山でもないし、面倒くさがれたから飛び飛びでもあったけれど、話が二転三転あいながらも話してくれた。僕は聞き逃さんとたびたび来る眠気を必死に振り払って聞いた。度々間違えたと言っては修正されていくザップさんの過去は、僕が全然知らなかったものなのだ。たとえ師匠さんの数がどんなに数えても三人余計にいるような説明でも、ゼロが1になったことには変わりない。
その分分からないことは何倍も増えたけれど。
少しずつ眠くなってるのだろう。そう察せられる声音で話される過去は、どれも僕の常識が介入する余地などなく、終わりのない穴か何かを進んでいるように思えた。
三回に一回は飽きたと呟くザップさんに、僕も少し昔話をした。なんてことないただの日常だけれど、返答はあまりなかった。平凡だなと一言零れ落ちただけ。
きっと穴を進んでいたのは僕だけじゃないんだろう。
次第に意識が睡魔で濁りながら僕らは昔話を続け、気が付けば朝が来ていた。ずっと夢か現実かわからない場所で考えていた暗い穴を晴らす方法は、そんな朝日がまぶしいと感じた時にふと思いついた。
 
「…そうだ」
 
まだザップさんが起きないことを確認して、ベッドから抜け出してスーパーへと向かった。冷蔵庫の中身はカラ同然だ。買ったほうが早い。出来れば朝早くからやっているそこで材料を探して、ザップさんが起きない内にと急いで帰り、台所へと立った。
昔話で思い出したのだ。風邪で寝込んだミシェーラに作った、僕が唯一作れる料理。
それは、今僕が出来る最も分かりやすい昔話。角材も、殺されそうになる修行も、三人分裂して夜な夜なザップさんを囲んで回る師匠が出てこなくたって、ザップさんが晴れやかに「分かった」なんて思える昔話。
それにしてもすごいなザップさん。師匠分裂して回ってくる中で寝てたのか。あの恐ろしい師匠の。
 
「なにしてんだ」
「あ、おはようございます。おなか空いてません?」
 
返事の代わりにおなかの音が聞こえた。そりゃあそうだ。水みたいに吐いてたから。
食べれるか分からないですけど。そう前置き押して作っていた料理を出す。
 
「なんだこれ」
「一応…チキンスープなんですけど。ミシェーラに食べさせたことがあるって話した」
「あぁ!…これ、が?」
 
料理を見てザップさんの顔がなんとも言えない顔となるのも仕方がない。そこには伝聞のものの形を知れたことへの驚きと予想と違う驚きが入り混じっていた。
 
「なんか、すごい匂いしてるけどいけるか?」
「食べてみないと分からないです」
「食べられるか分からないって本当に言葉の通りなのな!?」
「最初は口に合わないくらいだと思ったんですけど、どんどん人が食べるものから遠くなったんで」
 
昨日から開いていたであろうスーパーは品揃えにも限界がきているようで、食材も調味料が色々欠けていた。正直どうしてそんな状態で作れると思ったのだろうか。
昨日のザップさんの話に出てきた野性味溢れる料理を基準に考えていたけれど、よく考えなくたって味のレベルとして間違っている。
なんでそれで作っちまったんだよ。そう言いながらも皿によそわれたチキンスープに釘付け。色はそこまで悪くない。
文句もこの刺激臭漂うチキンスープの前では霞むらしく、言い合いもそこそこに二人しておそるおそるとスプーンで一口食べた。
 
「うわ、普通にまずい」
「惜しいって言ってくださいよ…これでも頑張ったんですから」
「レオ、いくら料理できねーからってこれミシェーラちゃんに食べさせるのどうだよ」
「大丈夫です。ミシェーラはもっとおいしいもの食べてますから」
 
二口三口とスプーンは進んでいく。食べれなくはないけれどまずい、笑えて来るほどだ。本来の味を知っているからか惜しさがとても際立つ。
いつの間にか声に出して笑いながら食べていた。すごい、万人が認めるであろう不味さは人を笑顔にするのか。ザップさんとか定期的に噴き出していて。食べられるぎりぎりを低空するそのチキンスープはどんどん空になっていく。
 
「そっかー。よく分かんねーけど、これを普段から食べてたんだな」
「その微妙に間違った覚え方しないでください。もっと美味しいしたまに食べる程度ですから」
「師匠の飯よりはマシだぞ」
「その基準で作っちゃいけなかったんですよ…。そういえばあの師匠三人も分裂するんですから、三人分の料理経験値とか取れないんですか。分かれて元に戻れるスライムみたいに」
「え、師匠分裂できねーよ」
「ザップさんが昨日言ってましたよ?」
「言ってねーって!あんなパワフルジジィが3人いたら俺の命枯れるわ」
「1人は修行場でもう1人はなんか洞穴で最後の1人は穴を掘って夜な夜な集まった3人が変な歌歌いながら囲んでくるって」
「それただのホラーだろ。その囲むやつ以外はねーよ」
「むしろそれはされてたんですね」
 
身振り手振りで教えてくれたそれはどうしても1人じゃできないのだけれど、そこは突っ込んでいいのだろうか。笑いがカゴメカゴメに取って代わって食卓をつつむ。口ずさまれるそのよく分からない民謡は、今歌わなければならないほど大事なのだろうか。歌の調子が怖いからやめて欲しい。そのまま何故かカゴメの民謡の解説まで入り、もともと少なかったスープはすぐ空になった。
 
「どうでした?昨日よく分からないって顔してたんで実際に作ってみたんですけど」
「未来の姑がメシマズだってことだけはわかった」
「母のは普通ですし、まずいのは僕ですよ!?」
「じゃあ将来のダーリンがメシマズかー」
「普段ならもう少しまともな飯作れます」
「どうせ作ったこともねーのに言ってんだろ?あーやだね、そんな奴に限ってレンジ爆発させるんだよ。俺みたいに」
「いつぞやのライブラ爆破事件はあんたの仕業か」
 
ザップさんが下した評価は星一つ半。その内一つは気分がいいからおまけらしい。つまりほぼ半分だった。
どこぞの家庭用教材の広告のように「これか!!」なんて簡単に理解できるようなうまい話ではないけれど、それでも朝早くからスーパーへ足を運んだ甲斐があったと思いたい。
 
「…ザップさん」
「ん?」
「あんたさっき俺の事将来の旦那って言いましたよね。母のことを姑とも。それってどういう」
「さーどういう意味だろうなー?」
 
皿洗いを全部押し付けザップさんは葉巻をふかしていた。煙が漏れる形のいい唇は愉快そうに笑っている。今まで一度だって未来を匂わせる発言をしたことがなかったザップさん。僕との付き合いはまるで真剣なお遊戯のようだったザップさん。
その後いくら問い詰めてもはぐらされるばかり。けれどその瞳には久しぶりに光がともったように見えた。
そして僕はそのドタバタや嘘か本当かわからない民謡裏話のせいで肝心のことを忘れていた。
さて、今回の後日談というかオチ。
僕がそれに気づいたのは二日後だった。
 
「ねぇシルバーモンキー、あんたついに人間に戻ったのね」
「は?」
 
最初は二人して訳が分からず戸惑っていたが、チェインさんが指した指の先を目に追えば、ザップさんが食べている僕の弁当があった。
 
「ちょっとザップさんそれ僕のですよ…って、あ!!」
 
僕はその時になってようやくザップさんが普通に食べれるようになっていたことに気付いた。
どうして早く気付かないの。なんてチェインさんには冷たい目で言われてしまったけれど、本当に気付かなかったのだから仕方がなかった。よくよく考えなくともあの失敗チキンスープから僕が作ったご飯は食べていたのだから、それはもう克服したといっても良いというのに。
ザップさんも自分が食べられるようになっているとは気づいておらず、つまみ食いした弁当のおいしさに白黒していた。けれどそのまま胃袋に押し込むのはいくらなんでもひどいと思う。
そこからはあっという間。ザップ・レンフロとして華々しく復帰したザップさんはその日のうちにカグツチで戦場を飛び交い、その流れでカツアゲをしてそのままキャバクラへと梯子していった。もちろん朝は帰ってくるはずもなく、次に僕がザップさんを見たのは事務所で香水臭をまき散らせながらソファで寝ているその姿。
なんとも屑に戻るのが早いものである。
それでも、何もかもが元通りではなかった。
 
「…別に、他のもの食べてもいいんすよ」
「このまずさがくせになるんだよ」
 
あれからもう2週間は経とうとしているが、ザップさんは今でも僕に手料理なんてものをねだってきており、いつの間にか3日一食は僕の家で一緒に食事をした。
だからといっておいしい訳でもないから、もう料理下手を笑うために来ているとしか思えない。それでも微妙に腕は向上している兆しがけれど、それは微々たるものなので諦めてさっさと惣菜で大部分を占めている。
まずいなんて言うけれど、ザップさんは残すことなく結構な量を食べていく。もう吐いたりもしていない。結局ちゃんとした原因は分からなかったけれど、僕はザップさんが元気な姿だけで満足だ。
逆ダイエットも順調で、元の体格に戻っていた。むしろムチムチしてきたことが最近の悩みでもある。
 
「なんだよ、こっちばっか見やがって」
「いえ。いっぱい食べるあんたが好きだなーって」
「…そうだろう?もっとタカってやるから安心しろ」
 
大皿でかきこむように食べるザップさんが隠したその頬が赤くなるのを、僕はこの眼でひっそりと見ていた。
すぐに元に戻ったザップさん。女の人のヒモで、酒癖が悪くて、やかましい上に理不尽な僕の恋人。
けれど僕はこの人のそういうところを含めて愛しているのだ。
にやにやと気持ち悪い。何度そう言われても僕がザップさんから視線を離すことはなかった。
頬袋をぱんぱんにしたその顔には、僕にだけ効く魔法がかかっており、その笑顔という魔法がザップさんを余計に綺麗に見せてくるのだから。
 

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食事がどれほど大事か、俺は十分わかっていたつもりだった。食によって血液は作られ、それこそ己が最も誇る武器であるのだから。憎きあのジジィにも口酸っぱく言われていた。
けれどそれは幸福や喜びなんてものとは無縁のものでもあった。
栄養が必要だから食べる。血液を作るために量が必要。とどのつまり食事とは武器の手入れと同じで、そこに利害以上が絡むことはなかった。あの時までは。
一回目はやたら高そうな、というか事実お高い高級店。食べ物とは、食事とは、娯楽であることがよくわかった。美味いという言葉がこんなにも重いものだったことを知ったのは、次の日から。誰にも言えなかった。はっきりとした言葉にもできなかったから。ただ食べられなくなった理由はなんとなくわかっていた。薬を、女を、ギャンブルを初めてやった時と一緒だ。
人間なんて贅沢なもので、一度世界に特別華やかな色がついたなら、それがどんなにダメなことでも欲してしまう。ただ薬や女より俺が新しく覚えた色はべらぼーに高くて手が届かなかった。
焦ったね。どんどん衰弱する体がうっとおしくて仕方がなかった。レオが元に戻ってから余計その焦りは加速していった。俺とあいつは違う人間だ。それは分かってても、それを目の当たりにして何も感じないことはなかった。
二回目は、レオの部屋だった。
怒るレオは必死に泣きそうなの堪えてて。すっげーおかしかった。なんで泣くんだよ。死にそうでもねーのに。俺だって焦ってるってのに。それを簡単に頑張れなんて言うからむかつきもした。
それでも、俺はあいつの説得で首を縦に振ってしまったのだ。
レオが作ってくれたスープは、本当に絶妙にまずくて。けれどあの時の多幸感が確かにあった。
残すなんてことはしなかった。
これが俺にはなかったものなのか。そう思いもしたけど、ただただ凄いと思った。
それは俺には絶対に作れないものだったから。俺が作ったってただのまずいスープだ。レオだけが原価四ゼーロにそれ以上の価値を与えた。なんで安上がりな幸福。他の全ての快楽より単価がかからない。
それでもあの時、あの一瞬。俺の中でチキンスープは確かに快楽全てにも勝る代物だった。
それからはご飯が美味い。今までより特にこだわりが出て魚類とはよく喧嘩するようになった。
それでも一番食べたくなるのはレオのまずい料理の数々。
これらを昔レオが食ったのか。そう思って食べれば不味い飯も不思議とマシな味がするし、俺が食べてる姿を幸せそうに見ているくせっ毛頭を見れば、俺が幸せにしてやった気分になる。
「俺のこの顔がそんなに好きか」
茶化すがために言ったそれに、レオは馬鹿正直にイエスと答えた。そうだろう。お前は俺のそんな顔を見るのが好きで、それだけで幸せになれるなんともチープな感性の持ち主だ。そしてそんなやつの行動だけで簡単に満たされる俺なんか、最高にチープな男だ。
本当はお前の方が凄いのにな。俺をこんな思いにさせやがって。
不思議な手を持つカレピッピに、夜こっそりそう呟くのが楽しみの一つだ。
 

 


 

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