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 ザップが部屋に入ってきた。
口からはみ出ているのは煙草では無くキャンディーの棒らしい。ガリガリとショッキングピンクを噛み砕いて、捩れた棒をゴミ箱へぷっと吐き出す。
「行儀が悪いですよ」
返事も無くどさりとテーブルに荷物が置かれた紙袋から零れ出る、グミ、キャンディー、チョコレート、マシュマロ。
「どうしたんですか?こんなに沢山」
無言のまま、次々と甘い物の包装を剥き口に入れ始める。表情は限りなく不機嫌で、食べる速度は異様である。
スティーブンがにやつきながら呪われたか、と口にした。じっとりとした目で彼を見上げるザップの顔からして、図星のようだ。
「呪われたって……」
「うるせえ」
睨み付けるも、その唇にはカラフルなマシュマロが詰め込まれたところだったので迫力には乏しい。この場に彼を思う存分笑う人物がいないのが残念なぐらいの状況と言えるだろう。
レオナルドは口元を緩ませつつ、呪いという言葉に不安を感じていたのだった。

 不安は的中した。ザップは甘い物を食べねば我慢がならないらしく、菓子類を手放せない。
その上、他の食物を摂ることがほとんど出来ず無理をすれば吐く。人間は甘味だけで生きることなど出来ない訳で、体力にも集中力にも影響が出始めた。
最低限の栄養は点滴で入れているが、それにだって限界はある。頭痛や倦怠感の他、集中力の低下も見られ始めた。

「血液がドロドロになるって書いてあるぞ。致命的じゃないか」
「……」
ネットを見ていたスティーブンが投げかけた言葉にも返事は無い。シュークリームを頬張っているせいかもしれなかった。
最初は笑っていた周囲も、今はせいぜいが苦笑を浮かべる程度だ。馬鹿にしてやるにはあまりに本人がやつれている。
肌も髪も荒れているし、顔色も悪い。表情には覇気がないし、数か所の怪我も目立つ。
「死因が砂糖中毒なんてしまらないな。お前だって辛いんじゃないか?」
「……別に」
どうしてここまでの事態に至ったのか。大きな理由は、ザップが呪いに関して一切喋らないからだ。どこで誰に呪われたのか、どんな呪文や道具が使われたのか、何も言わない。
おかげでライブラの総力を発揮しても、未だに解放の術が見つからないのだ。
「これもうアンタだけの問題じゃないですよ」
「糸目は黙ってろ」
「でも」
「関係ないだろ」
バリバリと、板状の飴が噛み砕かれて口の中へ消える。周囲には隠しているとはいえ、恋人を相手にして余りにも無下な拒絶だった。
「ザップさん」
怒って名前を呼んだものの、何も言えない。
ただ睨みつけて、もういいですとその場を離れるしかなかった。悔しくて、心配で、頭に血が昇る。何も出来ない自分にも苛立つ。
スティーブンが何か言いたげにしていたのは見えたが、そのままドアを閉めた。

「大人気ないな」
言葉と表情、声でと三重に責められ、ザップはスティーブンをわざと視界から外す。
「何を意地になってるんだか知らないが、今のは酷いぞ」
「別にいつもと……」
「お前がいつもと違うんだから、いつも通りにしたらやっぱり駄目だろ」
「……」
「分かるだろ、心配してるんだ。少年だけじゃないぞ。どうにかなると思ってたから見逃してきたけど、そろそろ限界だ」
叱られる方向へ向かったのを察しながら、それでも座ってキャラメルを剥いていた。これは逃げても仕方のないことだ。
先程のレオナルドの表情には、流石に後悔を感じた。怒っていなかった、傷付いていた。芯の強い、それでいてしなやかな感性を持つ彼だからこそ気軽に罵っていたつもりだったのに、もうそれさえ普通には出来なくなっている。
もう向き合うしかない。
「上司として言う。何でもいいから進展を見せろ」
「どうにかします。今夜にでも」
「出来るんだろうな」
「まあ、多分」
出来なかったらどうしようと、うっすら考えながらラムネの容器を握り潰した。

 その日の夜、レオナルドは不機嫌に食後の片付けをしていた。食欲も無く簡単にテイクアウトしたもので済ませたのだが、それさえ食べきれずに冷蔵庫へ放りこんだ。
自分に出来ることが少ないことなど分かり切っていたはずだった。けれど関係ないと言われれば、素直に腹が立つ。ないわけがない。
恋人だからと主張するつもりは無かった。けれど仲間として、心配している者の一人として、関係ないなどという子供じみた拒絶を受けたショックがある。
そうしてそれでもまだ、ザップにそんなにも余裕がないのだと解釈して心配してしまう自分がいることにまた苛立つ。惚れた弱みと言われればそれまでなのだが、あんな男にという思いは拭いきれなかった。そもそもどうして、甘味が止まらないなどと言うふざけた呪いを放置するのかが分からない。
 ふと、ドアが開く音がした。鍵を持っているのは一人で、案の定ザップが顔を出す。
決まり悪そうに、手にしたビニール袋を揺らす。菓子ではない食べ物が見えた。
「あー、その。今日は、悪かった。一応な」
「……」
「これ、食え。それと、話を聞け」
「……話はいいですけど、そっちは今食べません。冷蔵庫に入れといて下さい」
「ん」

 静かに、二人でベッドに腰掛けた。テーブルではなくベッドなのは、ザップがそれを希望したからだ。
「それで、話って」
「俺の、呪いのことなんだけど」
喉で唸って悪態をつく。余程話したくない事なのだろう。
もしや致死性なのか、悲惨な恨みでもかったのかと顔が強張るのがわかる。
「あのな」
意を決したのか、こちらを睨むように見つめてくる。
「まず言っとくけど、呪いをかけたのは前に寝てた女だ」
「はあ」
今更それごときで拗ねるはずもない。過度の期待をするような理想も持っていない。
だがザップは、言い訳するかのように言葉を繋いだ。
「別に酷いことした訳でもなくてだな。しばらく連絡とらなかったのを煩く言われただけだ。そんで、俺が優しくないのが悪いみたいに口うるさく言われたんで、つい」
「つい?」
「別の奴のことで手一杯だって、言っちまって」
瞬間的に体温が二度程上がった気がした。だが自分にブレーキをかける。
「そ、それで」
「なんか全然許してくんなくて。俺が嘘ついてるって思い込んでさあ」
「それで、その呪い」
「ああ。この呪い」
「解き方が、分かってるんですね?!」
うー、むー、とまた唸り始めたその肩を掴む。
「なんでさっさと解かないんですか?すごく難しいとか?」
「簡単だよ。馬鹿みたいに」
「じゃあ、なんで」
「なんか悔しくて」
「はあ?」
「聞いたら絶対笑うからなー。そんでちょっと喜びそうだし」
「え、誰がです?」
半眼になってこちらを睥睨してくる。
「おめーだよ」

 異界の血を引く女は、ザップの言葉を信じなかった。あんたみたいな奴に大事な人間が出来るなんて信じられない、嘘に違いない。嘘で私を遠ざけようなんて図々しい、だから呪いをかけてやる。
本当に大事な人がいるのならば簡単に解ける、そうでなければ死ぬような呪いを。
『甘い物ばかり食べているように。砂糖より甘いキスをするまでは』

「えー……」
「ドン引きかよ」
「ですよ」
「だよな」
けれど、安心した。
「でも良かったです。それなら」
それなら。それなら?
「やめろよ!急に赤くなんじゃねえ!」
「わー、わー!違います!違いますからね!」
「何がだよ。照れんの止めろや!」
「分かってます!分かってますから!」
深呼吸をして何とか顔に上った血を下げようと試みる。
「あ、あの、でも、どういう判定なんですか?その、甘さは」
「知るかよ」
不機嫌そうに、それでもどこからか取り出した飴を向こうとしているその手を止める。
「それ、ちょっと待ってもらえないですか」
「無理。今まで我慢してたし限界」
「解けばいいじゃないですか、呪い」
「……」
ザップの手が千切りかけた包装から離れる。その両肩に手をかけ、ゆっくりと顔を近付けた。
久しぶりの口付けをまずは口元に。それから、唇にそっと。一度離れてからまた柔らかく合わさって、呼吸が絡まる。
お互いの唇を食んでから、レオナルドが頭を傾け接触を深くした。ザップは大人しくそれを受け入れている。

「……」
「……」
「やっぱこういうのじゃ駄目なんだよ!もっと情熱的に来い!」
「はい!」
やり直しの最中で笑いだし、ムキになり、最後はお互いに腕を絡めてベッドに縺れ込んだ。
だが結局、どれだけキスを重ねてもザップの呪いが解けた様子は無く、飴を頬張りながらため息をついて泊めろと言った。
了承すれば、その場に上着を脱ぎ捨てて風呂場へと向かっていく。片付けをしないザップが先に入り、レオナルドが後に入って掃除をするのはもはや習慣だった。
彼の服と一緒に散らばった包み紙を拾いながら、レオナルドも溜息を付く。自分がザップの呪いを解けるかもしれないと思ったのは甘い考えだったのだろうか。まだまだ情熱が足りないのか、それとも技術的なものなのか。
必要とされてあんなにも興奮したのに、結局は駄目だった。そんな自分の不甲斐なさに気持ちが沈む。もっと大人で、もっと経験を積んだ、器用な男だったら呪いが解けたのだろうか。
ザップが少しも責める言葉を口にしなかったのが、期待されていなかったようで少し腹立たしい。気持ちだけなら、十分に情熱的なつもりだったのに。
「俺が‘普通’だからかなあ。女の人の呪いだもんな。もっとこう……」
ロマンティックに?と考え、うっすら鳥肌が立つ。自分達には到底そぐわない表現だった。大体、ザップに求めるものではない。
「はあ」
それでも、やっぱり、呪いを解くのは自分でありたかったのに。

 入れ替わりでシャワーを浴び、掃除をして出てくればザップは既にベッドに入っていた。早寝な質ではないものの、正常に食事を摂れない状態では体力を温存したいのかもしれない。
何の遠慮も無くベッドの真ん中を陣取ったザップを覗き込む。褐色の肌に、うっすらと分かる程度の隈が見てとれた。
食にそこまでの拘りがない彼でも、四六時中甘い物を食べる生活はきっと辛いだろう。可哀想に、と思うが、それは本人には言えない。
妹にするようにそっと額の髪を退け、労わってやりたくなった気持ちのまま額に唇を落とす。
ほとんど触れないそのキスの、直後。突如として目を刺した赤紫の光にレオナルドは仰け反った。
どこからともなく響いた盛大なファンファーレに、全身が赤紫に光ったザップが飛び起きる。
驚愕する二人の前で、天井近くに浮かんだ人形のようなものが両手を振り上げた。デフォルメされている癖に四つの巨乳が滑稽な、その人形にザップの体から発せられていた光が吸い込まれていく。
『オメデト!クズヤロウ!』
玩具の様な声が罵って、人形は爆発しキラキラ光る赤紫の光塵になって消えた。
「はあ?!」
ブチ切れた表情でベッドの上に立ち上がったザップの足首を、咄嗟に掴む。
なんだとばかりに見下ろしてくる、その顔が見られない。けれど自分が耳まで赤くなっているのは分かった。
「お前まさか…」
「あの、ちょっと待って下さい。僕にも予想外で」
何も言わないザップを不思議に思い、顔を上げてしまえばそこにあるのはやはり赤面だった。
お互いに何も言えないで、真っ赤になったままひとしきり顔を反らしてとにかく意識を反らす数秒間。
耐えきれなくなったザップが自棄になってレオナルドを押し倒したのはその直後。
「おい、レオ。借りは返す。だがな、その前に謝っておく」
「なんですか」
「すまん」
上がった悲鳴は、ザップがその場で嘔吐したからで、甘い雰囲気も何もあったものではなかった。唐突に正常になった消化器が、詰め込まれた糖分に拒否を示したらしい。

「わざわざ、俺にぶっ掛ける、意味ありました?!いい加減にしないと、本当俺もそろそろ、キレますけど!」
「すまんて。俺も、礼をしてやろうとは、思ってたんだけどよ」
シャワーを浴び、始末をして、二人で真夜中にテーブルに座っていた。夕飯の残りと持ち込まれた惣菜を、奪い合うようにして食べている。
体が戻ったザップの食欲は凄まじく、レオナルドはそれにつられている状態だ。
「足りねえ!他に食べ物は?!ピザ頼んだらすぐ来るか?」
「今の時間だと割り増しでも来ないんじゃないですかね?!」
「食いに行くぞ!」
「はい!」
「その前に!」
「はい?!」
ザップの手が伸び、レオナルドの首を掴んで引き寄せる。
今まで揚げ物を食べていた口でキスをされるのかと思い硬直した、その唇の直前で唇が止まり、囁く。
「帰ったら好きなことさせてやる」
手は首筋をするりと撫でて離れ、椅子の背にかけていた上着を掴んだ。
「ほら、行くぞ」
卑怯ですよと声に出すより早く、椅子から立ち上がって首筋にかけていたタオルを放りだした。
御褒美があるのが分かった状態で、久しぶりに普通の食事をするザップを見ることが出来るのだ。
今なら多少のゲテモノでも食べられる気がする。
甘くさえなければ。





 

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